あきらめないで被災地!

公開日 : 2011年08月31日
最終更新 :

あの日、伝説が現実になってしまいました。しかも巨大さを増して...

この国に暮らす人で、生きている間にこのような大惨事に遭遇することを予想し得た人はどれほどいたでしょうか? もちろん私の想像力など遥かに及びませんでした。

東日本大震災から来月で半年が経ちます。地震のあった3月は、東北地方ではまだ雪が降り積もる季節です。あの日、山形でも地震のあと、新たに雪が積もりました。あれから春が過ぎ、夏が来て、今は秋風が立ち始めています。その間、被災地の復興は遅々として進まず、原発事故の終息も遥か先のようです。長い長い半年でした。でも何も片付いていません。事故の原因企業や同業者、監督官庁の不実に憤りを覚え、国民は一流で被災地の自治体も立派なのに、どうしてこの国の政治家・政治は三流なのか、の感を益々深めています。

同じ東北でも山形は秋田とともに被害の少なかった県です。地震直後の混乱ぶりは、震源から遠い首都圏の方が山形などとは比較にならないほど遥かに大きかったようですが、以来、当県は被災者の避難先や支援物資の中継地として、被災地復興のための役割を担って来ました。そして被災地支援のための多方面にわたった非常態勢が、今はほとんど震災以前の状態に戻っています。

街中で震災を想起させるものは書店の震災関連書籍の特設コーナーくらいで、他に目に付くものはほとんどなくなりました(見落としているかもしれませんが...)。しかし東北地方の新聞やテレビは震災関連の記事や番組に多くのスペースと時間を割いています。また店頭に並ぶ農産物には福島県産が増えているようです。私はまったく気にせず買っていますが...

いつか買物先で他県からの避難者に間違えられたことがありましたが、現在、山形県内への避難者数は、放射線の危険から逃れて来た人たちだけでも1万を超えているそうです。小学生のいる私の甥の一家も、被曝の不安を抱えながら福島県内に暮らしています。そして追討ちをかけるように、当地は風評によって大変な被害をこうむっているそうです。

津波の被災地へはまだ行ったことがありませんが、先月、20数年ぶりに仙台に行って来ました。市内の発展ぶりに目を見張りましたが、街中の賑わいを見ていると、そこから少し先が津波で壊滅状態にあるとはとても想像出来ませんでした。

数人の男たちが山形から被災地を見に行き、全員泣いて帰って来たという話を聞きました。被災地に行ったことのある者からは(ショックを受けるので)見ない方がいいかもしれない、などと言われたこともあります。しかし光景が変わってしまっていても、復興支援になるのなら、昔行ったことがある所などを再訪したいと思っています。

がんばろう日本!がんばろう東北! そして、あきらめないで被災地!

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