No.362ユートピアを形にした男:フランス、ギーズのゴダン
ギーズのファミリステール 社会宮殿の左翼外観
Phot. Xavier Renoux, 2016 © Familistère de Guise
今日は、日本ではまだ知られていない、フランスの珍しいスポット、ギーズを紹介しましょう。
ギーズ(Guise)は、フランス北部。パリとリルを結ぶ高速道路A1のちょうど真ん中あたりから東にまっすぐ70kmほど行った場所にある町です。
フランス北部の町ギーズ
フランス人がギーズと聞いて思い浮かべるのは、16世紀のギーズ公暗殺事件。絵画や音楽の題材にも取り上げられた史実です。そのため、ギーズの場所は良く知らなくても、名前は知っているというフランス人がほとんどのようです。
さて、このギーズ。古くは、11世紀から城が築かれた場所で、今でも小高い丘の上に、中世の城砦がどっしりと残っています。
けれどもこの町に着いた人が、最初に目を惹かれるのは、城砦ではなく、別名「社会宮殿」と呼ばれる建物、ギーズのFamilistère(ファミリステール)でしょう。
社会宮殿の広場 Phot. Georges Fessy, 2016 © Familistère de Guise
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独学で才を磨いたゴダン
実は、ファミリステールは、今から150年前ほど前、この地にJean-Baptiste André Godin (ジャン・バティスト アンドレ ゴダン)が築いた「ユートピア」なのです。
ジャン・バティスト アンドレ ゴダン(Jean-Baptiste André Godin) ©Collection Familistère de Guise
ゴダンが生まれたのは、今からちょうど200年前、1817年のことでした。貧しい家庭に生まれた少年は、長じて鍵職人となります。彼には、発明の才もあり、23歳のときに、鋳鉄を使ったストーブを制作。この製品が当たり、6年後の1846年には、工員30人を使う工場を、ギーズに建設。その後ブリュッセルにも工場を建て、大きな成功を収めます。晩年には、1500人の工員を数えたそうです。
ゴダンはまったくの独学ながら、著書を出し、ジャーナリスムにも手を染め、後年は政治家の顔も持つことになります。確かに写真を見ても、眼光は鋭く、また思慮深さも伝わってくる面貌です。かなりの読書家でもあったようで、サン=シモン(Saint-Simon)やエティエンヌ・キャベ(Etienne Cabet)、ロバート・オーウェン(Robert Owen)らの思想にも通じていました。
特にシャルル・フーリエ(Charles Fourier)の説いた「協同体の創造」には大いに共鳴します。フーリエが理想郷とした共同生活の場、Phalanstère(ファランステール)の建設を援助しようと、ゴダンも私財を投じますが、この企ては残念ながら失敗に終わります。
2000人が共同生活する社会つくり
莫大な損害を被ったゴダンでしたが、援助が失敗に終わったことから、それなら、自分の手元でこの「ユートピア」を作ろうではないかと考え、ギーズの工場近くに、2000人の居住が可能なサイトを作り出すのです。それが、このファミリステールです。
ちなみに、フーリエの描いた理想郷を形にする試みは、19世紀のフランスやアメリカでいくつもなされましたが、成功したのは、ギーズのファミリステールだけでした。
社会宮殿の右翼 Phot. Georges Fessy, 2016 © Familistère de Guise
ファミリステールは、長方形の中庭を囲むようにして、四階建てにアパートが並んでいます。四隅にはそれぞれ階段があり、各階とも中庭側に通路があります。どのアパートも、当時としては珍しい大きな窓を備えており、風通しの良い設計となっています。
社会宮殿中央パビリオンの回廊 Phot. Georges Fessy, 2016 © Familistère de Guise
社会宮殿中央パビリオンにあるアパート内部1950年代の内装 Phot. Georges Fessy, 2016 © Familistère de Guise
中でも注目すべきは中庭で、ガラス製の大きな天井があるため、日が昇っている時間は常に明るく、また雨天でも濡れる心配のない広い場所です。ゴダンはこの中庭を使い、子供祭りなど、いろいろイベントを催し、住民の絆を深めました。
1870年6月6日に中央パビリオンの中庭で催された労働祭を祝う様子© Collection Familistère de Guise
ファミリステールを囲むのは緑多い広大な土地で、当時の住環境としてはあらゆる面で非常に贅沢なものでした。
ファミリステールの周辺には、住民のための劇場や、売店も置かれました。住居内での洗濯は、湿気と衛生上の理由で禁じられており、大きな洗濯場を備えた建物も、別に建てました。同じ建物には、なんとプールも作られました。これがまた面白く、底の位置を調節できる仕組みになっていて、利用者のレベルや用途に合わせて、深くも浅くもできるようになっていたというから驚きです。
終生、貫き通した主義
後年は政治家としても活躍し、著名人となっていたゴダンでしたが、主義を変えることはなく、よって、自身も、1888年に亡くなるまで、工員たちと同じように、このファミリステールの一角で暮らしました。
町全体から慕われたゴダンの墓は、ファミリステールを見下ろせる緑地の一角に作られています。
ギーズに建てられたゴダン工場は、19世紀の終わりには、3ヘクタールの土地を使い、1200人が働く場となっていました。大戦を経て、経営母体も変わりましたが、今も、300人が、「ゴダン」マークの製品を作り続けています。
社会宮殿と、その北側に広がる広大な庭園 Phot. NAI, 2010 © Familistère de Guise
見学に関しての情報など
2017年は、ゴダン生誕から200周年ということで、いろいろなイベントが企画されています。夏までの主なものを挙げると下の通り。
・4月30日(日)17:30から、コンサート
・5月1日(月)10時~18時:メーデーのお祝い
・6月17日(土)14:30から、ゴダンのモーゾレ公開のイベント
住所:Place du Familistère, 02120 Guise
開館時間:毎日10時~18時
休館日:11月から2月までの月曜日と、年末
見学料:9ユーロ、10歳未満は無料
かなり広く、また複数の建物があるため、じっくり見て廻っていると、2,3時間はすぐに経ってしまいます。
近くに鉄道が走っていないため、車がないと行きにくい場所ではありますが、行って損はありません。機会があれば、ぜひ寄ってみてください。
なお、敷地内の元売店だった場所は、今はちょっとした食堂になっており、地方料理の軽食などが味わえます。
(冠ゆき)
筆者
フランス特派員
冠 ゆき
1994年より海外生活。これでに訪れた国は約40ヵ国。フランスと世界のあれこれを切り取り日本に紹介しています。
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