【ジョージア】晩秋サムツヘ・ジャヴァヘティ④~町の跡という名の村
トモグヴィ村滞在2日目には、隣接するナカラケヴィという村にも行きました。
「ナカラケヴィ」という名前は、「町の跡」という意味。
サメグレロ地方にノカラケヴィという古代遺跡都市がありますが、「ナカラケヴィ」も「ノカラケヴィ」もともに同じ意味です。
↑ナカラケヴィ村。
調べてみると、この辺りはもともとはツンダと呼ばれる町だったそうです。
ツンダの町は信仰の中心地として、また王たちの別荘地として5世紀頃に存在した町とのこと。
ツンダが衰退したあとに栄えたのがトモグヴィ。
トモグヴィが貿易の町として栄え始めたのが9~10世紀頃で、同じ頃にツンダは衰退したとのことなので、はるか昔の話です。
その後、19世紀にはキャラヴァンサライの宿場町でもあったようです。
↑水草が茂るツンダ湖。
ツンダの町の遺跡は現在は残っていませんが、ナカラケヴィの隣村に「ツンダ」という地名が残っています。
※ただしწუნდა(古/ts'unda)→ცუნდა(現/tsunda)と綴りが変わっています。
ツンダ湖のほとりひと休みしたあと、温泉があるゲストハウス・ゲノの脇からナカラケヴィ村に向かいます。
ジョージアには多くの温泉があります。
また湧き水の類は尊いものとして扱われるようで、タマダの乾杯の挨拶に登場したこともありました。
↑ナカラケヴィ村へ向かう道。
↑草を食む牛たち。
緩い上り坂を登っていくと村に到着します。
ナカラケヴィ村は、かつての町の跡というよりは晩秋の山里といった雰囲気。
墓地を中心として家々が並んでいます。
↑ナカラケヴィ村の家々。
ここでも外からの客は珍しいのか、不思議そうな顔をされましたが、歓迎してくれる村人もいました。
墓地の脇には第二次世界大戦の兵士を祀る石碑と十字架のモニュメントがあります。
第二次世界大戦は旧ソ連圏では「大祖国戦争」という別名で呼ばれ、ジョージア語でもたまにこの言い回しが出てきます。
↑村の中心にある墓地。
↑兵士を祀る石碑と像。
↑十字架のモニュメント。
帰りがけにツンダ教会にも寄りました。
こちらは12~13世紀に建立されたもので、外部から撮影しました。
↑ナカラケヴィ村の家々。
↑ツンダ教会。
【ジョージア語の表記と発音】
・大祖国戦争(დიდი სამამულო ომი/didi samamulo omi)
↑ナカラケヴィ村、南側にツンダ教会があります。
筆者
ジョージア特派員
fujinee
ジョージアのトビリシに住んでいます。音楽や芸術が好きなので、そのような記事が多くなります。
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