【イラン社会の礼儀作法】タアーロフに疲れました......
私にはイラン人の友人がたくさんおり、よく連絡を取ります。
そして、イラン人との人間関係に常につきまとうのが「タアーロフ」という考え方です。
私はこの約3年間、このタアーロフには常に悩まされ、考えさせられてきました。
※以前の記事では「タロフ」と表記していましたが、カタカナ表記としては「タアーロフ」のほうが一般的に普及しているようです。したがって、ここでは「タアーロフ」と表記します。
さて、日本人はこのタアーロフについて、どのような認識を持っているのでしょうか。
少なくとも、認知度としてはそれほど高くないような気がします。
いや、ほとんどの日本人が、この「タアーロフ」という単語さえも知らないのではないでしょうか。
以前、世界旅行者たちのブログを好んで読んでいたことがあります。
そういった人たちの中には、イランを旅してその日記を書いていた者も多数いました。
しかし私はそういった日記の中にこの「タアーロフ」についての表記を見た記憶が1回もありません。
多分、イラン人との人間関係を持つうえで、もしもこの「タアーロフ」について知らなかったら、たいへんな誤解が生まれると思うのです。
いや、たとえイラン人との付き合いがなかったとしても、この国際社会の中で、ひとつの主要民族の特徴的な考え方として、この「タアーロフ」という概念は知らなければならないことだとも最近あらためて思ってます。
タアーロフはイラン人の社交辞令です。
日本社会の中にも社交辞令は存在します。
特にビジネスの場面で社交辞令に出会うケースは多いでしょう。
たとえば上司と飲みに行けば、「まあ、課長もお上手で......」と相手を持ち上げたりします。
ビジネスの契約が終了する場合、「またご縁がありましたらぜひお願いします」と書いたりもします。
しかしこれらの場合、本当に上手だと思ったり、またのご縁を期待してはいない場合も多いでしょう。
それは相手を立てるため、人間関係をスムーズに行うため、場合によってはうまく自社の利益に繋げるために本心ではないことを言う訳です。
そして、もしこういった言葉をすべて本気でとらえてしまうビジネスマンがいたとしたら、それは非常に「やっかいな」存在となるでしょう。
イランの社会には、親しいプライベートの人間関係の中にも必ずこういった社交辞令が存在するのです。
たとえば日本人がイランを訪れた場合。
多くのイラン人が積極的に誘いをかけてきます。
「初めまして、一緒にご飯でも行こうよ」
「家族を紹介したいから、これからうちにおいでよ」
しかしこういった言葉を本当の誘いと考えてはいけません。
彼らは、そういった誘いをかけるのが礼儀ということで建前を言っている訳です。
つまり、本当は誘いたくない気持ちを抑えて礼儀作法として誘っているということ。
こういった誘いは、断ることが礼儀となります。
しかしタアーロフを知らない者は、それを親切な誘いだと勘違いして快諾します。
ここで相手は微笑んでいたとしても、内心は思っているでしょう。
「建前の誘いについてくるとは、何という礼儀知らずなのだ」と。
しかし彼らはその気持ちを決して表に出しません。
相手に嫌な気持ちを悟られてしまうこともタアーロフにおける礼儀違反となるので、「ここは僕が払うよ」と次のタアーロフを始める訳です。
しかし、タアーロフにおける人間関係は、奉仕精神とそれに対する遠慮がペアになって初めて成り立つこと。
当然、その誘いをすべて受ける者がいたら、その人間関係はどこかで崩れてしまいます。
したがって日本人からしてみれば、親切なイラン人と付き合っていたら、ある日突然その人間関係が崩れてしまうということにもなりかねません。
その場合、どうしてその人間関係がダメになったのかもわからずじまいになってしまうでしょう。
※誤解を招くので書きますが、イラン人は本当に親切な人種です。ただしタアーロフは別問題としてとらえなければならないということです。
ここで、私がいままで出会ったタアーロフの実例、およびタアーロフだと自分で判断した例を挙げてみましょう。
①イラン人の宿泊者が多いホステルに泊まっていたとき、みんなが私に食事を分けてくれていた。
私もその親切さにあやかってすべて快諾していたら次第に不穏な空気になってきて、あるイラン人から遠回しにタアーロフについて教わった。
②いままで出会ったイラン人の多くとはインスタグラムで繋がってもらっている。
その中には1日だけの付き合いだった人も多い。
2019年に友人に会いにイランを訪れたが、イラン旅行の写真をアップロードしていると彼らからこぞって連絡が来た。
「なぜ僕に連絡をくれないんだ」
「イランに来てるのなら、一緒に食事でも行こうよ」
ただし私は、これらの誘いの多くがタアーロフであることにすでに気づいている。
多分、彼らの言葉を本気にして全員と会う約束をしたら、多くの者は思うであろう。
「え、あなた、そもそも誰だっけ?」
しかし彼らはそれを表情に出さずに次のタアーロフを続けるはずです。
③イラン人の友人とSNSで頻繁に連絡を取ることがある。
のっけから歯の浮くようなお世辞が並んだりしますが、最後に彼らは必ずこう締めくくる。
「イランへの次の旅行は計画してるかい?」
「僕らも待ってるから、今月なんてどうだい?」
しかし2021年4月現在、日本人がジョージアからイランに入国することは、ほぼ不可能に近いでしょう。
そして彼らもそれを知らないはずはないのです。
つまりこれはタアーロフ。
友人関係を確認するために嘘で誘いをかけているのです。
したがってここで、「いま行ける訳がないじゃない!?」と正直に答えるのは無粋となるでしょう。
たとえば、「ちょうど航空券を取ろうと思っていたところなんだ」と嘘で返すのがよい答えだと思われます。
ここまででもかなり難しいルールをともなうタアーロフですが、日本人にとってタアーロフが悩みの種になる本当の理由は別にあります。
それは「魔の3回ルール」です。
イラン社会の中では、相手の誘いがタアーロフである可能性を考え、3回断ることが礼儀となっています。
そしてもし4回目も誘ってきたら本気の誘いだということで承諾してよいとされているそうです。
この「3回」という数字はイラン人が子供の頃から習うそうで、ルールと考えてよいでしょう。
つまりこの「魔の3回ルール」は、以下のふたつのルールに細分化できると思うのです。
①イラン人に誘いを受けたら、3回は様子を見て断らなければならない。
4回目に誘われたら初めて承諾してよい。
このルールは親しい人間関係の中にも適用される。
②イラン人に誘いをかける場合、相手はタアーロフのルールで断ってくることが多い。
しかし本気で誘いたいのであれば、3回断られても4回誘いをかけなければならない。
もし途中でやめてしまったら、その誘いは本気ではないということになる。
しかしこのような習慣は日本社会にはありません。
日本人との付き合いの中で、同じ誘いを3回連続で断ったことがあるでしょうか。
おそらく、1回断った誘いをまた2回目としてかけられることでさえほとんどないでしょう。
友人の誘いを3回断ることは、メンタル面でかなりの強さを要求されます。
さらにやっかいなのは②です。
もし日本で②をやった場合、ストーカー行為として通報されてもおかしくないでしょう。
私の意見ですが、ある社会の中で犯罪として扱われる行為は、礼儀としては存在し得ない行為と言ってよいと思うのです。
日本人にとってタアーロフとは、社会の中で存在し得ない礼儀作法を行っていくということでもあります。
当然これも精神的に大きな負担となります。
実際、何度か言ったことがあります。
「もう、タアーロフはやめにしないか」と。
しかし彼らにとってもタアーロフは幼い頃から擦り込まれている礼儀であり、また民族の誇りでもあるのでしょう。
なかなかやめることもできません。
タアーロフというのはこれほどに難しい礼儀作法なのです。
【追記】
その後、イランの友人にタアーロフについてたずねる機会があり、また違った意見が得られました。
こちらの記事と合わせて読んでいただけると幸いです。(21.04.30)
※今回の画像は、2019年にイランを訪れた際に、友人と訪れたリンドという雲の上の村です。
イランでは、有名観光地はほとんど訪れずに、友人と行動していました。
筆者
ジョージア特派員
fujinee
ジョージアのトビリシに住んでいます。音楽や芸術が好きなので、そのような記事が多くなります。
【記載内容について】
「地球の歩き方」ホームページに掲載されている情報は、ご利用の際の状況に適しているか、すべて利用者ご自身の責任で判断していただいたうえでご活用ください。
掲載情報は、できるだけ最新で正確なものを掲載するように努めています。しかし、取材後・掲載後に現地の規則や手続きなど各種情報が変更されることがあります。また解釈に見解の相違が生じることもあります。
本ホームページを利用して生じた損失や不都合などについて、弊社は一切責任を負わないものとします。
※情報修正・更新依頼はこちら
【リンク先の情報について】
「地球の歩き方」ホームページから他のウェブサイトなどへリンクをしている場合があります。
リンク先のコンテンツ情報は弊社が運営管理しているものではありません。
ご利用の際は、すべて利用者ご自身の責任で判断したうえでご活用ください。
弊社では情報の信頼性、その利用によって生じた損失や不都合などについて、一切責任を負わないものとします。