番外編)「差別」について考えてみる

公開日 : 2020年04月26日
最終更新 :
筆者 : Chisato

Tere! (エストニア語で「こんにちは」の意)

今は新型コロナウイルス対策のためほとんど外出をしていないのですが、そんななか、不思議に思っていることがあります。それはエストニアで差別を受けていないということです。

私はこれまでの海外旅行で、すれ違いざまに顔に唾を吐きかけられたり、転ばされてから背中を踏まれ続けたり、両胸をつかまれて持ち上げられて吹っ飛ばされたことがあります。ほかにも、日本ではないアジアの国名で大きな声で呼ばれながら石を投げられたり、追いかけられたりしたこともあります。書き始めたらどんどん思い出してきてしまいました......ほかにもいろいろ、本当にいろいろありました......。

そんな私なので、今回の新型コロナウイルスの件で白人さんたちばかりのこの国でアジア系は目立つから、多少なりとも差別を受けるだろう、多少なりとも腹いせをこちらに向けてくるだろう、スーパーでの買い物時は覚悟しておこうと思っていました。

ところがどっこい、誰も私を差別してこないのです。外出頻度が少ないということもあるかと思いますが、私を見る目がいつも通り穏やかなのです。

先日はこんなことがありました。

緊急事態宣言以降、私はスーパーに行くとき、大量の食材を持ち帰るためスーツケースを使っているのですが、この間地下のスーパーから出てきたら、エスカレータが止まっていました(あまりにも人がいないので止めていたらしい。行きのくだりは階段だったため気づかず)。困っていたら、なんと知らない人が遠くから声をかけてくれて、スーツケースを地上階まで運び上げてくれたのです(他人と接近してはいけないので、ひとりで運ぶといってくださいました)。

私が行った建物はバスターミナルに隣接したショッピングモールだったので、私が単なるスーパー帰りとは限りません。よくスーツケースを引いたアジア人に親切にできるなあ!!!としみじみと深く感謝しました。そして「差別をしない」ということは知性の極みであり、精神力が問われることなんだなと改めて思いました(私は、差別については甘んじて受ける、逆らわないという姿勢でただただ生きてきて、あまり深く考えたことがなかったのでまだ考え足りないかもしれませんが)。

今でも、エストニアで差別を受けない日々が不思議でたまりません。もっとエストニアについて知りたい、差別する心はどこからやってくるのか、差別しない心はどうなっているのか考えたいと思いました。

まずはこのまま差別のない日々が続きますように。

なにより、差別のない世界になりますように。

IMG_1439.jpg

(写真は以前撮ったものです)

ではまた♪

筆者

エストニア特派員

Chisato

エストニアのいいところ、エストニアならではのこと、日本とエストニアの似ているところ、違うところなどをご紹介したいと思っています。

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