バルドフシ村の祭りの夜

公開日 : 2008年06月21日
最終更新 :

村に住むマケドニア人庭師のイツコと家事の手伝いをしてくれているカテリナが年に一度の祭りがあるというので村のマケドニア正教の教会に出かけた。その日は夕方4時ぐらいから伝統音楽がなりはじめ村の地道は車、車ですごい渋滞がおこってこの村に住む外国人たちはため息まじりで様子をうかがっていた。

私の住むこの村のある地域は外国人ばかりがすんでいる。オランダ人、アメリカ人、ロシア人、ドイツ人、インド人、など大使館関係者が多い。村人と,外国人のあいだには目に見えない高い高い壁がある。外国人も村人にはまったく関わりをもたないし村人も全く関わりをもたない。

私は、村の学校で折紙をおしえていたので何故だか関わりをもっている。

 『何時にいけばいいのかなあ。』『じゃあ、9時に』

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写真をみていただけるとわかるとおもうけれど、夜店とか日本とそっくりでしょ。日本ではもうすぐ祇園祭がはじまりお囃子の音をBGMに祭りの夜をたのしむのだけれど、ここマケドニアでは楽隊がどでかい音をスピーカーを通して演奏するものだから、うるさい。ともいえる。でも、小さい子供たちからお年寄りがその音楽にあわせて踊るのはみてて和む。知らない者同士も手と手をとりあいリズムにあわせて輪をつくっておどる。この写真は夜もどっぷりくれてそろそろみなが家路につこうとするときとったものだから少し閑散としているけど多いときは,踊りの輪が2重、3重にもなっていた。腰の曲がった老女や足の悪いお方もなぜだかびっくり、楽隊が演奏をはじめると輪の中にはいり、笑顔でおどっているのをみ、隣り合わせた人がいたわっていたすがたは私のこころのどこかにひっかかって、涙が出た。なんだか私が忘れていた世界だった。

 マケドニアはバルカンの中でも一番遅れていて腹の立つことも多い国だけれど、折に触れて

人間にとって大切なものを再発見できるところでもある。

ちなみにこのお祭りは聖トロイツア祭りとよばれている。村人たちはそれぞれ自宅でごちそうをつくり人々をまねく。私は2軒の家をはしごして色々な人にあった。知らない人も私があるいていたらよっていかないか,と声をかけてきた。 夜遅く迄,子供たちや若者の声が村中にひびいていたが、あまり悪質な犯行や未成年の犯罪が少ない理由がわかった気がした。

私がこの国に住んでびっくりすることは 若い人たちがよく教会にお参りしていることだ。いくつものイコンに唇をつけて接吻しているすがたは、何とも,聖なる感じがする。

私が招かれているとき,一人の若者の携帯がなった。深刻に話していた。どうしたのか、ときいたらバイクに乗っている友達が車にぶつかったが、とばされたもののかすり傷だけだった、と安堵していっていた。『今日が,聖トロイツアだったからだとおもう。友達も神に感謝して、いまから教会にいってくるといってた。』

 彼は22歳.ラキア(非常に強いお酒)をのみまくってはクラブにかようイケメン君。

こういう状況をかいまみるとき、日本より社会が健康なんじゃないか、とおもってしまう。

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