江戸時代の建築様式が一同に。ディープスポット新庄藩戸沢家墓所。

公開日 : 2017年12月27日
最終更新 :
筆者 : まつとみ

はじめまして!このたび新庄特派員のブログを担当することになりました。まつとみです!

新庄観光協会に勤務している二人の女子です。山形のディープな情報お届けしますので、

みなさんぜひブックマークして記事を読んでいただけたら嬉しいです!

さて、第1本目の投稿は新庄のディープな歴史を知るならここ。

国指定史跡である江戸時代最上地方一円を治めた歴代の墓所「新庄藩戸沢家墓所」をご紹介します。

shinjo1.jpg

山形県新庄市は城下町。初代殿様の名前は「戸沢政盛」。元は秋田県仙北地方を出た殿様だそうですが、戦国時代は早くも豊臣秀吉、織田信長に接近して将来の道を開き、力をつけていったそうです。

初代 殿様以降11代まで続き、当時築き上げた産業、おまつりは今の新庄市民の生活文化に大きく影響を与え今も残っています。

代々の殿様の墓所が菩提寺瑞雲院の境内にあり「御霊屋(おたまや)」と呼ばれています。

瑞雲院境内には2代藩主正誠を除いて6棟に納められています。初代の政盛の御霊屋は2代正誠によって建立され、そのあと次々と立ち並んでいます。

このような御霊屋は全国で5か所あるといわれ、当時の茅葺屋根で残っているのは新庄市だけなんですよ。また、藩主との正室や子供、側室など一緒に祀られているのも珍しいです。

shinjo2.jpg

造りは総ケヤキの単層宝形作りで、おおきさはそれぞれ違いますが、石場の上に土台を据え、丸橋を建て、柱間に厚い板をはめこんで壁としています。入口は観音開きの窓で床は石畳です。

ここで建物に注目していただきたいのですが、1棟目より2棟目が明らかに木鼻がきらびやかになっています。

shinjo3.jpg

新庄市内のガイドさんの話によるとこの2棟目が建立された1742年、今から275年前は1番藩政が良かったとのことでこの作りも納得です。

shinjo4.jpg

そして下の写真を見てみると刻まれているのは戸沢家の家紋「九曜の紋」

そして戦場で敵味方を判別するために旗を用いられたものが転用された「戸の字」が印象的です。

shinjo5.jpg

こうして年代ごとに建築様式に変化がありその時代の藩政も読み解けるのも新庄藩戸沢家墓所の特徴ですね。当時から日本の技術が高くて細やかだったことも感じます。建造物の棟札からはのちに小国大工として謳われた人々の先祖がすでに大工の棟梁として活躍しています。

建築様式からその時代がわかるのはなんだかドキドキしてきますね。

イメージするのは時代劇ですが、汗水流しながらエッサホイサと黙々と仕事をしたのかなと

いろんなことを想像してしまいます。

残念ながら冬期間は積雪のため外観しか見ることができませんが雪が解けましたら

中まで入ってみることができますよ。

ぜひお越しくださいね。

【詳細】

名前:新庄藩主戸沢家墓所/瑞雲院

場所:所在地新庄市十日町468-12

拝観料:無料

電話番号:0233-22-1051

アクセス:新庄駅より車で10分

駐車場:あり

【記載内容について】

「地球の歩き方」ホームページに掲載されている情報は、ご利用の際の状況に適しているか、すべて利用者ご自身の責任で判断していただいたうえでご活用ください。

掲載情報は、できるだけ最新で正確なものを掲載するように努めています。しかし、取材後・掲載後に現地の規則や手続きなど各種情報が変更されることがあります。また解釈に見解の相違が生じることもあります。

本ホームページを利用して生じた損失や不都合などについて、弊社は一切責任を負わないものとします。

※情報修正・更新依頼はこちら

【リンク先の情報について】

「地球の歩き方」ホームページから他のウェブサイトなどへリンクをしている場合があります。

リンク先のコンテンツ情報は弊社が運営管理しているものではありません。

ご利用の際は、すべて利用者ご自身の責任で判断したうえでご活用ください。

弊社では情報の信頼性、その利用によって生じた損失や不都合などについて、一切責任を負わないものとします。