また、3月11日が来ました。
また、3月11日が来ました。
あの日、地震発生時の速報で目にした映像は、初め全く理解できませんでしたが、津波が生き物のように町を飲み込んでいく様子でした。今でも忘れることはできません。昨年10年の節目、自分の中であの日を風化させない為に、ボデガベイにある原発建設で掘った穴(Hole in the Head)を訪れました。奇しくも今、ロシアのウクライナへの武力侵攻で"チェリノブイリ"が危ない事もあり、野鳥のサンクチュアリーになっている穏やかな池(穴)を見てきました。
この池(穴)ができた経緯、振り返りです↓
1958年5月23日、ソノマカウンティー(Sonoma County)の海に面した人口約350人、のどかな漁師町ボデガベイにふって湧いたのが、電力会社PG&Eから打ち出された"原子力発電所建設計画"。サンアンドレアス断層(San Andreas Fault)の西約3.2kmに基礎が作られるというとんでもない話でした。当然、住民の反対運動が起こり、北カリフォルニア・ボデガヘッド保護協会(The North California Association to Preserve Bodega Head/NCAPBH)が結成され、シエラクラブも協力を申し出ます。1962年から本格的な反対運動が始まります。
サンアンドレアス断層とは、太平洋プレートと北米プレートの境目の断層。よく動く断層で、1895年には既に知られていました。サンフランシスコ半島からメンドシーノ(Mendocino)まで続いています。ボデガベイ辺りは、別のプレートもあって、3つのプレートが複雑に関係。聞いただけでゾッとするような位置に原発を作ろうとしていた訳です。
反対運動の高まりの意に反して、原子炉基礎工事、穴を掘る作業は行われていました。
1964年3月28日、アラスカでマグニチュード9.5アメリカ史上最大の地震が発生
(アラスカ地震)
この大地震が決定的となり、1964年10月30日に原発工事は中止となりました。
このボデガベイの原発反対運動は、住民達が自分たちを守るために力を合わせ中止にこぎつけたことで"The birth of the anti-nuclear movement"「反核運動の誕生」と言われています。
反原発運動の聖地のような存在(拙記事から抜粋、記事は後記)
地球は生きているので動きます。特にサンフランシスコ・ベイエリアはサンアンドレアス断層とヘイワード断層を含め大小幾つもの断層があります。ここ住む私たちは、地震がくることを前提とした生活です。ある程度、覚悟と準備をしなければならないなぁと思っています。しかし、原発は人がコントロールできるものなので、どうか良識のあるコントロールをしてほしいと願っています。
とにかく一刻も早く停戦、穏やかな日常を...反原発の聖地(池)を眺めて思いました。
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池ができた経緯・過去記事:東北の震災から10年、原発跡地のあの池に行ってきました
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3月11日から、サンフランシスコ市は、屋内飲食でのワクチン接種証明書の提示は必要なくなり、パンデミック前の生活へシフトしていくのを感じます。ウクライナにおいては、ロシアの武力侵攻前の日常になってほしいと願っています。チェリノブイリは、以前のような管理下になってほしいと、色んな"何々の前"を考える1日となりました。
筆者
アメリカ・カリフォルニア州特派員
美丸(Mimaru)
サンフランシスコ在住ビアジャーナリスト。全米のクラフトビール探求の日々、訪問したブルワリー、タップルーム情報は随時投稿。
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