ヴェネツィア広場にローマの"雌オオカミ"がトピアリーで登場!

公開日 : 2018年05月30日
最終更新 :

先日ローマ中心部のヴェネツィア広場に、ローマのシンボル"心優しき雌オオカミ"のトピアリーが設置されました。トピアリー(topiary) は、樹木を刈り込んで動物や文字などを模ったり、幾何学模様などを作る造形物です。

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↑ コルソ通りを背にして、ヴェネツィア広場のほぼ真ん中に立ってみました。向かって正面に見えるのは、ヴィットリオ・エマヌエーレ2世記念堂です。ヴェネツィア広場は、ローマの中心部で最も車の往来が激しい場所の一つです。写真を撮ろうとしたところ、カモメが自主的に入ってポーズを決めて来ました。

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↑ 今度は、ヴィットリオ・エマヌエーレ2世記念堂の中から見た広場のパノラマです。雌オオカミが設置されたのは、写真の芝生の緑色の丸い円の向こう側の半分の部分です。

左側に見える赤茶色の建物はヴェネツィア宮殿と言い、ローマで一番最初のトスカーナ・ルネッサンス建築様式の建物(1471年完成)の例として知られています。しかしながらこの建物を有名にしているのは、ファシスト政権時代にムッソリーニがフランスとイギリスに向けて開戦の宣言(1940年6月10日)をしたバルコニーがあることではないでしょうか。演説をしたのはヴェネツィア広場に面している中央のバルコニーです。

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↑ 雌オオカミがいました。ヴェネツィア宮殿も良く見えます。ムッソリーニが演説をしたバルコニーは旗が立っている場所です。それでは雌オオカミに近づいてみましょう!

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↑ と思って近づこうとしたのですが、この日は交通量が多く、危なくてオオカミの真正面に周ることが出来ませんでした。そこで人が少なくなった夜に出直しました。雌オオカミがいました!良く見ると、下にいる人間の双子の兄弟にお乳を与えています。

良くあるご質問に、「ローマを歩くとあちこちでオオカミのシンボルが見られ、お土産物屋さんでは大きなおっぱいをした雌オオカミの置物やキーホルダーなどが売られています。パン屋さんでもオオカミのパンを見かけました。オオカミはローマとどういう関係があるのでしょうか?」というものがあります。 

この雌オオカミはローマ建国と切っても切れない関係ですので、2分間で簡単にご説明します!

古代ローマの文学者ワッローが伝えるところによると、ローマは双子の兄弟の兄、ロムルスが建国しました。

昔々、今から3000年近く前の頃のお話です。

ある時、アルバ・ロンガ王国の王位を熱望していたアムリウスは兄のヌミトルから王位を略奪しようと試み、男児を殺し継承者を根絶やしにしようとしますが、困ったことに彼の娘が男の子の双子を産んでしまいます。

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怒ったアムリウスは、家来に双子をテヴェレ川(イタリア北・中部の山中に源を発しローマを流れる)に捨ててくるよう命じますが、この日に限って増水していたため川に近づけず、双子を入れた籠をテヴェレ川近くに放置して来ます。

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水位が下がると、そこを通りかかった雌オオカミが双子を発見し、自分の乳を与え育て始めます。

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その後、通りがかった羊飼いの夫婦が2人を発見し、オオカミに「ありがとう!」と言って、引き取り育てられることになります。                  

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やがて成長して自分達の生い立ちの真実 (実は高貴な身分)を知ると、この双子(兄はロムルス、弟はレムス)の兄弟は二人でローマを治めることになります。

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ところが人は誰でも権力欲を抑えきれず、一人で治めたくなってしまうもの。仲違いをして兄弟同士で喧嘩を始めます。ある日、弟が挑発して兄の領土に侵入してきた為、兄は弟を殺して、結局兄のロムルスがローマを建国することになります。

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ロムルスはローマ初代国王となり、パラティヌスの丘(現パラティーノの丘)に作った国に自分の名前 "ロムルス Romulus" から、"ローマ Roma" と名付けました。これが紀元前753年4月21日のことです。

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↑ こちらが一番有名な、"カピトリーノの雌オオカミ"と呼ばれるカピトリーニ美術館(コンセルヴァトーリ宮)に保存されているブロンズ像です。高さは75㎝です。

様々な説がありますが、この像は紀元前5世紀初め頃の作品だとされていて、雄弁家キケロも「紀元前65年に、カンピドーリオの丘の上にあった雌オオカミのブロンズ像が雷に打たれ、双子の部分が破壊した!!」と記録しています。

今日ではキケロの言う像がこの像と同一のものであった可能性がかなり高いとされており、そうであれば、とても長い間、このオオカミはローマのシンボルとして存在して来たことになります。

下にいる双子の兄弟に関して言えば、15世紀の終わりにポッライオーロが作成し、付け足したものなので、古代のものではありません。オオカミは首の周りの巻き毛が端正に作られています。

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↑ 雌オオカミにより近づいてみました。右奥に、ヴィットリオ・エマヌエーレ2世記念堂の祖国の祭壇の無名戦士の墓を守る儀仗兵さんが見えます。オレンジ色に光っているのは灯されている炎です。

この雌オオカミ像は、ローマ市の庭管理部門のスタッフによりセイヨウツゲを用いて造られました。

地元民からは、クマ、ハイエナに似ているなど散々な言われ様ですが、ツゲの木が生長して来れば、オオカミはもっともふもふに、亡霊の様に消えかかっている双子の兄弟もより形がくっきりして素敵になるのではと思っています!

筆者

イタリア特派員

阿部 美寿穂

ローマからイタリアの日常やイタリア旅行に役立つ情報などをお送りしています。

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