文化財公開日3 ホテル・ヤコブとその周辺
3. ホテル・ヤコブ もともとは木材の貯蔵庫として1781年に建てられました。
そのあと19世紀、市の行政施設として、そして1937〜2011年と100年以上にわたり警察署として使われていました。
2013年に改築後、ホテルとして使われていますが、警察署としての歴史をホテルから消さないで欲しい、というのが条件だったようで、地下の一室を警察署に関するミニ博物館としています。昔の写真などがありますが、その部屋は、重罪を犯した人の牢獄として使われていたようです。
ホテルは、ヤコブ通りから見える建物をメインとし、奥の方にもさらに二棟。
Budget Luxury、つまり予算に見合った豪華なホテル、というか庶民レベルの豪華さを求めたホテル、ということですよね。
普段は、道路の向かいにある肉屋とパン屋から仕入れたものを朝食のビュッフェにふんだんに盛り込んでいるようですが、いま現在はコロナの影響で、残念ながらビュッフェ形式は不可能です。でも、このホテルのオーナーさんが、近所の人と気さくに話をされて友達同士であるところをみると、ホテルの従業員もきっとそんな親しみやすい方なんだろうな、と想像します(ネットでの利用客のコメントを見たところ、やはり従業員の対応に満足したというものが非常に多いようです)。
■Hotel Jakob
・住所: Jakobstraße 14
・URL(英語版): ホテル・ヤコブ
話が少しそれてしまいました。
さて、この公開日のときの様子に戻りましょう。
ホテル内で少しお話を聞いたあと(コロナでなければホテル内もきっとたくさん案内いただけたと思います、残念)、私も一度も歩いたことがない近辺の道を、解説を聞きながら歩きました。ガイドは、ホテルのオーナーさんです。
ホテルの裏側に回ると、こんな感じ。でも、これは母屋であり、まださらに奥に二棟もあるんですよ。そして、駐車場も。
駐車場の入口ですが、知らないと殺風景な、おもしろみもない光景ですが......
偶然、最近私が知ったドイツ語が、このときの解説に出てきました。Zwingermauer ツヴィンガーマウアーというのですが、つまり、昔、ふたつの城壁を持ってより強固に敵から守る建築がありました。例えば、お城でも二重の城壁があり、その間の部分をツヴィンガーというのですが、その城壁とほぼ並行して走る壁が、そのツヴィンガーマウアー(マウアーは壁の意味)なのです。
そう、そもそもこのホテルの名前、ヤコブですが中世に城壁が取り囲む中に町が作られていったなか、城壁にはいくつかの門がありました。そのひとつ、ヤコブ門のすぐ脇にこのホテルは建っています。
↑ヤコブ門を外側(南側)から撮影したものです。
このヤコブ門のある城壁と、ツヴィンガーマウアーがこの近辺にあり、そこにこのホテルはあります。
駐車場に話を戻しますが、ツヴィンガーマウアーはすでに半分程度の高さが埋め立てられていたのですが、その埋め立てた部分を掘り起こし、地下駐車場にしました。その歴史的なツヴィンガーマウアーについて、写真つきで博物館のように写真と解説が複数のボードに分けて掲げられています。
駐車場の写真、左側の壁がそのツヴィンガーマウアーです。1300年頃のものだそうですが、レーゲンスブルクの城壁は179年、920年、1320年と大きく作り直されているので、ちょっと年代が気になります。
いずれにせよ、このツヴィンガーマウアーを掘り起こし、樹木によってダメージを受けていた部分を修復し、このように整えたようです。
レーゲンスブルクのツヴィンガーマウアー情報については帰宅してからネットでも調べて見ましたが、わかったのは19世紀後半から城壁とともに壊される方向にあった、ということだけ(この町にツヴィンガーマウアーがあることさえも知らなかったので、それでも衝撃、感動!でした。)。
下の写真も、中央にあるのがツヴィンガーマウアーです(奥の灰色の建物がホテル)。
こんな道を散歩しました。シュタールツヴィンガーヴェーク、直訳すると、鉄のツヴィンガーの小道、でしょうか。
↑アールヌーボー調、ドイツ語ではJugendstilといいますが、色ガラスがある家です。この地区は、1900年代前半から少しずつ家が建ち広がっていた場所で、アールヌーボーは20世紀末からのものですから20世紀前半に建築され、その後少し改築されたのでしょうね。そのあたりの細かい説明はありませんでしたが、美しい家です。
↑こんな大きな家もあります。道がカーブをしているのですが、道なりに壁が弧を描いています。建築費がかさみそうですよね。いまの世の中ではデザイナーハウス以外、そんなものを作らないでしょうが、レーゲンスブルクではいくつか見かけます。
↑こちらは穀物類の貯蔵庫。へえ、そういうものが残っているんだぁ。聞いたことありませんでした。
さて、緑が生い茂るグリーンベルト地帯に出てきました。
ここもすてきな場所ですね。そして、こんな塔のようなものがどーんと現れました。
これ何か知ってますか?というガイドさんの問いかけに、参加者の女性からすぐに返事が。
「ペストの柱。」
ドイツ語でPestsäuleというのですが、調べてみると、バロックの時代(1600〜1720年頃)以降にあちこちで作られ、多くの人をしに追いやった、あのペストを忘れないようにというものだそうです。
ところが、このレーゲンスブルクのペストの柱は、ゴシックのもの。1459年と刻まれています。
私が、大聖堂の装飾(突起物)のひとつ?と思ったのも無理はありません。
ペストが流行ったのも1713年のこと。ペストを忘れないようにという趣旨にしては、時期がズレすぎですよね。
さらに疑問が膨らみます。
道案内、目印としてのものかとも思われているようですが、もともとどこにあり、ここへ運び込まれてきたのかも実はよくわかっていないようです。
それではいったいなぜ、ペストの柱と呼ばれるのでしょうか。私にもまだ謎解きができていません。
それにしても、ここレーゲンスブルクには、知っても知ってもまだたくさんの知らない情報が詰まっています。本当にすてきな、おもしろい町だと改めて思いました。
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