ベートーヴェン生誕250年、ベートーヴェンはレーゲンスブルクに来たことがあるのか?

公開日 : 2020年01月13日
最終更新 :

今日は、ベートーヴェン・シリーズ第二弾。

私も音楽が好きで、ピアノでここ2、3年程度、ベートーヴェンのソナタを頻繁に弾いていました。

先日2020年1月10日に、記念切手の記事を公開した後、ちょっと気になることがありました。

ベートーヴェンは、レーゲンスブルクに来たことがあるのかしら?

モーツアルトとハイドンはレーゲンスブルクに来ているし、ブルグミュラーにはレーゲンスブルク生まれ。ベートーヴェンは、ウィーンにも住んでいたから、きっとレーゲンスブルクにだって来てたに違いない!

改めてとことん調べ直してみると、ベートーヴェンは16歳であった1787年1月と4月にレーゲンスブルクに来ているという記載をネット上で見つけました。オルガニストとして数日間来たのだそうですが、それ以上の情報には残念ながらたどり着きませんでした。

ウィキペディア(ドイツ語版)によると、「1786年12月からモーツアルトのもとで作曲の勉強をするためにウィーンへ行き、そこで3ヵ月間暮らしたが(実際は、モーツアルトに作曲を教わっていなさそうです)、その後帰路につく際に、レーゲンスブルクやミュンヘン、アウグスブルクにも立ち寄り、1787年5月にボンへ戻った」とあります。

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でも、ベートーヴェンはどこに宿泊したのでしょうか。

お金持ちの人をターゲットにしていた旅館「白羊亭」がありました。そこには、文豪ゲーテのほか、作曲家ではモーツアルトやハイドンも宿泊している記録があります。でも、ベートーヴェンについては読んだことがありません。

モーツアルトが来たのが1790年、そしてハイドンが1794年ですから、1786年にレーゲンスブルクを訪ねたベートーヴェンがここに宿泊したとしてもなんら不思議はないのですが(白羊亭には、同1786年、文豪ゲーテも滞在しています)。

最愛の母が1787年7月に亡くなっています。レーゲンスブルクに来た頃は、まだ大きな失望を受ける前の若きベートーヴェン! という感じだったのでしょうね(母親の死の後、父親は酒に溺れるようになる。ベートーヴェン自身も、1798年ごろから聴覚の問題が発覚)。

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