日幡城、冠山城、庭瀬城「境目七城」を歩く

公開日 : 2021年07月11日
最終更新 :
筆者 : mami
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こんにちは。岡山も湿度があがり、ジメジメとした梅雨らしい天気になってきました。備中高松城址の蓮もいまが見頃を迎えています。

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こちらの蓮は、沼地にお城があった時代からもともと蓮が咲いていたそうです。

その後、荒地になっていましたが、歴史公園として沼を復元したら自然に蓮が生えてきたそうです。

400年もの間、地中に眠っていた蓮が、再び地上で花を咲かせるなんてロマンティックですね。

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先月より戦国時代、中国地方の大半を占めていた毛利輝元と織田信長の配下羽柴秀吉の戦った、「高松城水攻め」を取り上げてきましたが、戦いは高松城だけでなく、毛利氏に味方する備中の豪族が守る「境目七城」という7つの城でも繰り広げられていました。

宮路山城、冠山城、備中高松城、加茂城、日幡(ひばた)城、庭瀬城、松島城の七城で、その主城が「備中高松城」です。そのうちの3つの城跡に訪れることができました。

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その「境目七城」のひとつ、日幡城跡にやってきました。足守川の堤防沿、日畑・西山地区にあるこんもりとした城跡です。もとは古墳の上に築城し、日幡氏の居城として知られています。

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いまは遺構などは見られず城址碑と祠だけがたたずんでいます。

秀吉の懐柔作戦によって、城主の寝返りをすすめるなどして一旦は落城したそうです。その後、裏切りによって落城したことを知った小早川隆景は猛攻撃をかけ、羽柴軍は城を撤退しました。

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こちらは、冠山城跡で、下足守にある標高40mの平山城です。冠山城主の正室は清水宗治の娘となります。

備中高松城攻めの前哨戦として冠山城の戦いは、一連の戦いの中でも唯一の激戦だったと伝わっています。いまも曲輪跡や竪堀などが見られるといいますが付近には道幅も狭く駐車場もなく城山に登ることは断念しました。

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岡山市庭瀬にある庭瀬城跡です。備中高松城によく似た沼地で、容易には攻められなかったといいます。秀吉の攻撃に屈せず、毛利方の退去の命令にも反して戦い、和睦の時まで在城しました。

濠堀は今でも城下を網の目のように走り、大賀ハスが咲いていました。

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この城址が残る庭瀬は、保存地区でもないのに、縦横無尽に張り巡らされた濠堀や古い商家が今も建ち並んでいます。

常夜灯や埋め立てられていた旧庭瀬港の復元は、地元の人々の記憶や文献によって、地域住民の手で甦っています。城跡だけではなく、この町自体魅力にあふれ、あらためて取材し紹介したいと思いました。

筆者

岡山特派員

mami

岡山生まれの岡山育ち。岡山市内在住の生粋の「おかやまっ子」です。

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