元号も奈良から祝・令和

公開日 : 2019年04月30日
最終更新 :
筆者 : 大向 雅

いよいよ本日で平成の世が終わりますね。

皆様も良いこと悪いこと様々な思い出があることと思います。

私は特に先月に、天皇皇后両陛下が退位のご報告のために橿原の神武天皇陵に行幸されたときに、お顔を拝することができたことはとても有難い経験でございました。

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ところで、この日本独自の元号についてですが、一番最初に使われた元号が「大化」だということは既にご存知の方も多いと思います。これは日本史の授業で必ずと言っていいほど暗記させられる「645年の大化の改新」から始まっているわけです。

そもそも日本国は古代より、時の権力者や暴君によってではなく、皇室という絶対的権威の元に選ばれた政治家たちが治めていくという体制で国家を運営してきました。

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しかしこの時の日本は、渡来系の蘇我一族が政治の実権を握っており、彼らは皇室への崇敬の念もなく傍若無人の振る舞いをしていました。このままでは日本の将来が危ういと感じた中大兄皇子(なかのおおえのみこ)と中臣鎌足(なかとみのかまたり)が、飛鳥板葺野宮(あすかいたぶきのみや)にて蘇我入鹿(そがのいるか)を暗殺。この乙巳(いっし)の変に端を発した一大政治改革、これを大化の改新と呼ぶわけです。

国民も国土もすべては天皇のものであるという公地公民制を取り入れ、あらためて中央集権することで、豪族の私有地・私有民を廃止し、地方豪族が好き放題に領民を奴隷のように支配するようなことはなくなり、中央政府から役人を派遣して地方の行政組織を確立されました。

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また、戸籍・氏の作成することで国民一人一人を把握できるようになり、また班田収授法の施行により、6歳以上のすべての国民に、それぞれ身分に応じて終身使える田を与えることで国民の生活の安定を計られました。また、ここから租・庸・調といった税制の実施などもはじまりました。

これらはすべて現代の日本の国家形成の基盤になっていることで、皇室があってこその日本であるということを、あらためて改元のときに感じて頂きたいと思います。

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後世の研究によってその政策には賛否両論ありますが、何といってもあの鎌倉時代に編纂された「小倉百人一首」の第一首目に、天智天皇が選ばれていることを考えただけでも、当時の方々の中ではかなりのリスペクト感があったことに間違いないでしょう。

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紀元前660年に初代神武天皇が奈良の橿原宮で即位されてから2679年、125代もの皇統が受け継がれてきた、世界に誇れる日本の歴史の凄さと意義と意味を考えていただきたいと思います。

そして平成の次の「令和」もまた奈良に非常に関わりの深い「万葉集」からということですので、本当に奈良は日本の歴史にとって意味深い場所なのだと痛切に感じます。これからも奈良からどんどん語り続けていきたいと思います。

尚、私の投稿は今回が最後になります。長い間、有難うございました。また皆さまには奈良でお会いできる日を楽しみにしております。

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