日本最初の大嘗祭が執り行われた地に建つ等彌神社

公開日 : 2018年12月06日
最終更新 :
筆者 : 大向 雅
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等彌神社(とみじんじゃ)は、奈良県桜井市にある神社です。

創建年月は不詳ですが社伝によりますと、古来より鳥見山(とみやま)に鎮座されていたようです。鳥見山というのは初代・神武(じんむ)天皇が、皇祖神である天照大御神(あまてらすおおみかみ)を祀った場所と伝えられる山。その後、山崩れが起きて現在の場所に移ってこられたそうです。

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本社にあたる上ッ尾社の祭神は大日霊貴命(オオヒルメムチノミコト)とされていますが、これは天照大御神の別名。同じ神様であっても祀られる神社によってそのお名前が変わるのは良くあること。有名な大国主命(オオクニヌシノミコト)もオオナムジやヤチホコといったお名前に変化しておられます。きっと私などが到底伺い知ることができない大人の事情があるのでしょう。

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下津尾社の東殿の御祭神は高皇産霊(タカミムスビ)神と応神天皇、西殿には御祭神として神皇産霊(カミムスビ)神と饒速日命(ニギハヤヒノミコト)天児屋根命(アメノコヤネノミコト)が祀られています。

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現在の境内の地は、かつて、天孫であり物部氏の祖先でもある、饒速日命が住まわれていた場所という伝承もあり、境内からの登山道を登っていきますと山中に「神武天皇聖跡鳥見山中霊畤顕彰碑」があることからも神武天皇と関わりがあることは明らかです。

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「霊畤」とは大嘗祭(だいじょうさい)のことです。大嘗祭といいますのは、新しい天皇が即位されたときに初めて執り行われる儀式で、天の神、地の神に稲の収穫を祝い、翌年の豊穣を祈願することで国家の安泰を願うものです。おそらくは大和平定を果たされ橿原の宮にて初代・神武天皇として即位された後、この地で大嘗祭が行われたのでしょう。

平成に生まれた方々は記憶にないでしょうが、来春新しい天皇が即位された時には大嘗祭が執り行われますので、あらためて記憶されると良いと思います。

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下津尾社の前には「鳥見山の此の面かの面をまたかくし時雨はよるの雨となりけり」という石碑が立っています。

「鳥見山のこちら側やあちら側を何度も雲でかくして降ったりやんだりしていた時雨は、夜に入ってとうとう本降りの雨になってしまった。」という意味だそうで、桜井市出身の文芸評論家・保田與重郎(よじゅうろう)氏の歌に、日本の版画界の大御所・棟方志功(むなかたしこう)画伯の絵が描かれた立派なものです。

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そして特筆すべきは、このあまり知られていない等彌神社の一の鳥居は、なんと!伊勢神宮の第六十二回式年遷宮の折りに、内宮の中重鳥居(なかのえのとりい)を譲り受けたものなのです。

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中重鳥居とは、伊勢神宮に参拝されたことがある方はイメージできると思いますが、内宮での一般参拝ができるこの外玉垣南御門より内側に立つ鳥居のことで、この鳥居の先へは天皇陛下しか入ることが許されないというほどの鳥居。

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つまりは、最も神様に近い場所に建ってた鳥居ということになります。こんなに凄い鳥居があるだけでも格の違いが伺えるというものですから、聖林寺や談山神社へ向かわれる際は、ぜひ立ち寄っていただけたらと思います。

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