東院庭園は華やかな天平文化の遺構

公開日 : 2018年11月22日
最終更新 :
筆者 : 大向 雅
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以前にも色々と書きましたが、奈良の平城宮跡はとにかく広いので、見どころがたくさんあります。

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その中で今回紹介するのはここ東院庭園です。

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一見すると、お客を集めるために急ごしらえで造ったような建物のようにも見えるかも知れませんが...こちらの庭園はれっきとした天平時代の遺跡なのです。

長年にわたって土の中に埋もれていた遺跡が発掘されたのは、昭和42年のことですのでかなり最近の話♪

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奈良時代の末に称徳(しょうとく)天皇が平城宮の東に東院玉殿を建てて宴会や儀式を催したということが、続日本紀(しょくにほんぎ)に書かれているので、目星をつけた場所を調査したところ...大きな池を持つ庭園の遺跡が発掘されたわけです。

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まずは、庭園と同様に復元された健部門(たけるべもん)から展示室を抜けて庭園を目指します。

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展示室には、東院庭園がそもそもどのような遺構だったのか、ひと目で分かるようにミニチュアが置かれています。

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柱跡の礎石をはじめ、建物に使われていたであろう宮殿用の緑釉瓦(りょくゆうがわら)がいくつか発掘されましたが、一体どのような建物だったのかは今となっては想像するしかないそうです。

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研究者の先生たちが、発掘された礎石の大きさから、一生懸命割り出した柱の直径や本数などから考えた結果、法隆寺の食堂に近いものと推察され復元されてはいますが、あくまでも想像です。

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ただし、この隅楼(すみろう)という建物については、柱そのものが発掘されており、柱の間に貫(ぬき)が通され腕木となり、その下に交差した枕木というような非常に頑丈な構造から、二階建てであったというようなことが判明しています。

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こうしてリアルタイムスリップをたびたび体験することができるのは、先人たちの苦労のおかげです。こういう大切な遺構はできるだけ多くの人に伝えたいものです。1300年前のことを思い描きながら、ゆっくりと平城宮を歩けば、きっと感じ取っていただける「何か」があると思います。

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