賣太神社の主祭神は古事記編纂の立役者

公開日 : 2018年10月11日
最終更新 :
筆者 : 大向 雅
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今回は大和郡山市にあります賣太(めた=売太)神社を紹介。

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古事記編纂に携わった稗田阿礼(ひえだのあれ)を主祭神として祀り、福祭神には猿田彦命(サルタヒコノミコト)と天鈿女命(アメノウズメノミコト)の夫婦神が祀られています。

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稗田阿礼は、太安万侶(おおのやすまろ)と共に、日本最古の歴史書とされる「古事記」の編纂に大きく関わった人物です。しかしながら逆に古事記以外にはその足跡を記すものが一切残されておらず、その正体はベールに包まれた方なのです。

その古事記の上巻の序にはこのように書かれています。

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時有舎人。姓稗田、名阿礼、年是二十八。為人聡明、度目誦口、払耳勒心。即、勅語阿礼、令誦習帝皇日継及先代旧辞。(そのとき、一人の舎人がいた。姓は稗田、名は阿礼。年は28歳。聡明な人で、目に触れたものは即座に言葉にすることができ、耳に触れたものは心に留めて忘れることはない。すぐさま(天武)天皇は阿礼に帝皇日継(ていおうのひつぎ)と先代旧辞(せんだいのくじ)を誦習(しょうしゅう)するようにとお命じになられた。

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この誦習という言葉は、長年にわたって「暗唱する」という意味であると教えられてきましたが、最近では「節をつけ繰り返し朗読」というする意味が一般的だそうで、稗田阿礼は記憶力が凄いというよりも、漢語や古代からの大和文字などにも精通されていて、翻訳や同時通訳ができた人物と考えるのが自然かもしれません。

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この稗田という土地は猿女君(さるめのきみ)稗田氏の本拠地でありました。猿女君は、古代より朝廷の祭祀に携わってきた氏族の一つでアメノウズメを始祖とされています。日本の神話において、アメノウズメは天照大御神が岩戸隠れの際に、岩戸の前で舞を舞ったという伝承から、鎮魂祭での演舞や大嘗祭における前行などを執り行った氏族だそうです。猿女君という名前は、やはり夫神である猿田彦の一字を入れたものでしょう。

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そして、ここ稗田は現存する環濠集落としても、非常に有名な場所なのです。環濠集落というのは、周囲に堀をめぐらせた集落のことをいい、水稲農耕とともに大陸からもたらされた集落の境界施設と考えられています。

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また稗田環濠集落は、かつての平城京の羅城門付近に存在しており、平城京に通じる主要幹線道路であった「下つ道」も通っておりましたので、かなり賑わっていた場所であったと考えられます。

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一説には、そのような場所に建てられた賣太神社は、平城京へ往来する人々の穢れを払ったり、旅の安全を祈願するような役割も担っていたという考えも有るようです。

このように奈良は、昔の村がそのままの形で残されていたりするので、古の歴史がつい昨日のように思えてしまう...本当にすごい場所ですよね。

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