壷阪寺は古さを感じさせない古寺♪

公開日 : 2018年06月07日
最終更新 :
筆者 : 大向 雅
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今回は西国三十三ヶ所観音霊場第6番札所として知られる壷阪寺を紹介。

弁基上人によって703年に創建された古刹で、ご本尊の千手観音菩薩は、浄瑠璃「壺坂霊験記」にも登場されることから眼病に霊験があらたかとされ、創建当時からの文化財はほとんどありませんが、さまざまなテーマに区切られた広大な境内は、まるでテーマパークのようなお寺なので、参拝客が絶えません。

寺伝によると弁基上人が修行していたときに、愛用の水晶の壺を坂の上にある庵に納め、感得した像を刻んで祀ったのが始まりと伝わっています。

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山門には仁王像もおられ、古寺の風情を十分に感じますが、一たびこの門をくぐれば三重塔や本堂の前に、白く大きな大釈迦如来に普賢、千手観音、文殊菩薩など石造りの仏像がたくさんおられ、古刹というよりはむしろ新しい印象すら受けます。

この仁王門自体は鎌倉時代の建立ですが、平成10年の台風により屋根が半壊するダメージを受けてしまい、その後解体修理がなさたことで、とても綺麗です。

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道を挟んだところに立つ全長20m・全重量1200tもの大観音石像は、前住職がインドのハンセン病救済事業に尽力されたという縁で、インド国民の協力と南インド・カルカラの三億年前の古石が、インド政府や様々な方のご支援で提供されました。インドの文化勲章受章者シェノイ氏及びその一門の指揮のもと、延べ7万人のインドの石工により、すべて手造りで製作されたそうです。

パーツごとに彫刻された66個の石が日本に運ばれ、基礎部分には数万巻の写経と土台石、また胎内には数万巻の写経と胎内石が納められてここで組み上げられました。

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そして大観音像の視線の先には、同じくインドにおける国際交流・石彫事業の一環として製作された、全長8mの釈迦涅槃(ねはん)像が横たわっておられる。涅槃像というのは、すべての教えを説き終えたお釈迦さまが、臨終を迎えたときの姿を像であらわしたものです。

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本堂におられるご本尊の千手観音菩薩は、現世利益の観音さまの中でもとくに「眼病に霊験あらたか」と云われていますが、壷阪寺にはそれについてのエピソードが伝わってるので、簡単に紹介したいと思います。

大和壺坂村に住む、沢市とお里夫婦は仲睦まじく暮らしていました。しかし沢市は目が不自由なので三味線の稽古、お里は縫い物などの賃仕事が頼りという暮らしぶり。

あるとき、妻のお里が、沢市に隠れてこっそりと夜中に抜け出し、明け方になると帰ってくることに気付き...「さては自分に隠れて他の男と逢引をしているのでは?」と沢市は疑いを持ち、お里を問い詰めました。

しかし、お里の口から出てきたのは「沢市さんの目が治るようにと壺坂寺の観音さまへ毎夜、願掛けのお参りに行っておりました...」という言葉。

事情を聞いた沢市は、貞節な女房を疑い続けたことを心から詫び、そして二人は壺坂寺へ一緒にお参りに出かけていきました。

観音堂に辿りつき、沢市は三日の間断食をすると言い、お里は用事を済ますために一旦家に帰りました。一人残った沢市は「お里が必死に願っても目が治る見込みなどない...目の見えない自分がいては、将来お里の足手まといになる」と考え、自ら断崖へ身を投げてしまうのでした。

お寺へ戻ったお里は、沢市の姿がないことに気付き、見えない姿を求めて名を呼び続けたが、断崖の上に残された杖を見つけてすべてを悟り「沢市さぁ~ん!」と狂わんばかり泣き叫び、そしてあまりの悲しみに耐えられず同じ断崖から身を投げてしまうのでした。

そんな二人のもとに千手観音菩薩が現れ、二人の深い愛情と信心に免じて、新たな命を与えてくださいました。

やがて夜が明け、谷底で倒れていた沢市とお里は起き上がり、命が助かったことを喜ぶ。それに、なんと沢市の目がしっかりと開いていることに驚き、千手観音菩薩のご利益にいっそう深く感謝していつまでも仲睦まじく暮らしたそうです。めでたしめでたし..

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ご本尊を祀る八角円堂は、手前の礼堂(らいどう)とつながる様に建てられています。創建は703年頃と伝わっていますが、現在のものは江戸時代の再建です。八角形のお堂は奈良時代を代表する建築様式の一つであり、創建当時からの遺構としては法隆寺の夢殿や興福寺の北円堂、栄山寺の八角堂などが有名です。

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礼堂から御本尊にお参りし、本堂の中をぐるりと一周できるようになっているだけでなく、建物のの外側も回ることができ、本堂からちょうど西の方角には、うっすらと遠く葛城山や二上山も臨めますので、裳階(もこし)の先に吊るされた風鐸(ふうたく)がカランカランと軽やかに奏でる音を聴きながら、悠久の時に思いを馳せるのも一興です。

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この石のレリーフはインド南部のカルナタカ州において、延べ5万7千人もの石工たちの手によって、インドの石に彫刻され製作されたものです。原図自体は、奈良教育大学の教授がインドを旅し、お釈迦さまの生涯を訪ね歩いて構図をまとめられ、誕生から入滅までの間にある、数百もの佛伝図の中から、比較的誰でも知っているストーリーが選ばれて描かれています。

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またこのレリーフは、高さ3m・全長50m・重さ300tにも及ぶ巨大作品なので、まずインドでは各場面を数個に分断して彫刻され、その結合作業は日本に運んでで行われましたが、そのとき本体の彫刻はインドの石工たちの技術とセンスを、ありのまま伝えるために、一切の修正を加えないまま組み立てられているそうです。

当然ながら中国を経由していませんので、これぞまさにリアル仏教伝来といえるかもしれませんね。

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