法隆寺・大宝蔵院はまるで博物館

公開日 : 2018年03月01日
最終更新 :
筆者 : 大向 雅
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西院伽藍を抜けてきますと、今度は聖霊院(しょうりょういん)というお堂が出てきます。

この建物は東室(ひがしむろ)という僧房の一部でありますが、南半分を改造して聖霊院とし、木造聖徳太子像をはじめ長男の山背大兄皇子(やましろおおえのみこ)と太子の兄弟とされる殖栗王(えぐりおう)、卒末呂王(そまろおう)という三人に加えて、太子の師である恵慈(えじ)法師像などが厨子の中に祀られています。

お堂は常時公開されていますが、これら平安時代の国宝の仏像群は一年中非公開となっております。ただし太子の命日に当たる3月22日~24日の3日間のみ公開されます。

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さて、そのまま東へ進みますといよいよ大宝蔵院の入り口にやってまいります。ここでは改札がありますので再びチケットをご用意ください。

向かい側には鋼封蔵(こうふうぞう)という奈良時代の双倉の高床倉庫が建っています。奈良時代の現存する双倉としては東大寺正倉院宝庫とこの綱封蔵の二棟だけですが、正倉院と違って中央を吹抜けとして、そこに扉を開く形式としては唯一の遺構ということで国宝に指定されています。

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大宝蔵院は1988年に建てられた防火耐震設計が施された鉄筋コンクリート製の建物です。百済観音堂および東宝殿、西宝殿という三つの建物をコの字につなげた形をしています。

内部に入りますとかつて金堂内部に描かれていた阿弥陀三尊の壁画の模写が出迎えてくださり、トップバッターで登場するのは白鳳時代の代表作「観音菩薩像」です。もともと東院伽藍の絵殿の御本尊で、悪夢を良夢に替えてくださるという言い伝えによって「夢違い観音」として親しまれています。

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九面観音菩薩像はいわゆる檀像と呼ばれ、白檀という香木をつかった一木造りの像です。注目すべきは体にまとった装身具はもちろん、耳飾やひらひらとした天衣にいたるまで、完全に一本の木から彫り上げられているという、まさに超絶技巧の像だということです。

他にも多くの仏像が並んでおり、どれもこれも素晴らしいものばかりです。

仏像群を抜けたところには、有名な玉虫厨子(たまむしのずし)が置かれています。厨子という名前ではありますが、実際の仏堂建築の外観を模した造りになっていて、古代の日本建築を知るうえでも重要な遺品なのです。現在ではほとんど分かりませんが、装飾のために玉虫の羽を敷き詰めた金箔貼の透かし金具を見ますと、往時の輝きを想像してワクワクしてしまいます。

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そして大宝蔵院の中の宝物の中でも群を抜いて存在感があるのが「百済観音(くだらかんのん)」の愛称で呼ばれる観音菩薩像です。2mを超える長身で、頭から体の根幹部分と足下の蓮台までをクスノキの一材から彫り出した一木造のとても優美な仏像として人気があります。ただ作者やいつ法隆寺に納められたかということについては良く分かっていません。

他にも藤原不比等の妻であり、光明皇后の母である橘三千代(たちばなのみちよ)の念持仏であったと伝わる阿弥陀三尊像や十七条憲法の版木、太刀や絵画、また称徳(しょうとく)天皇が国家安泰を願い南都十大寺に納めた百万塔等々、白鳳から天平時代までの工芸品などがずらりと展示されていて、大宝蔵院に収蔵されている宝物は本当に一日中居ても飽きないほどの充実ぶりです。

ぜひ、じっくりと見学して頂きたいと思います。

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