世界最古で最高の法隆寺

公開日 : 2018年02月15日
最終更新 :
筆者 : 大向 雅
DSC01593 (2).JPG

しかし残念なことに、ほとんどの人がその凄さが分かっていないのでとても勿体ないく思います。ただそれを伝えることができる人が少ないので仕方がありません。

法隆寺は推古(すいこ)天皇の御世、607年に摂政であった聖徳太子によって創建された日本でも最古級の寺院ですが、飛鳥時代の642年に一度全焼してしまいました。

そのことにつきましては「日本書紀」の天智9年(670年)4月30日条には「夜半之後、災法隆寺、一屋無余」という記述があります。要約しますと「夜明け前に、法隆寺に火災がが発生し、ひとつの建物も余ること無かった」ということになります。

ですから現在の法隆寺の伽藍は、創建当時からのオリジナルというわけではありませんが、奈良時代に入ってすぐに再建されたもので、ゆうに1300年を超える歴史を誇り、数々の戦乱や動乱の時代をくぐり抜けてきたわけです。そしてその姿を現代にまで伝え続けてきたことはもはや奇跡としか言いようがありません。

また建物と同様に秀逸な仏像や工芸品なども多数所有されており、明治期に皇室に献上されたり、国立博物館などに多数移されたりしたものの、現在でも法隆寺には国宝・重文に指定されている建造物と仏像、美術工芸品を合わせますと190件2300点にも及びます。まさに仏教美術の宝庫であり、1993年に日本で初めての世界文化遺産に登録されたのも納得します。

とにかく有名な金堂、五重塔がある西院伽藍をはじめとする境内はかなり広大ですので、始めて来られた方だと回ることに一生懸命になってしまい、一体何が何やら分からないうちに終ってしまいます。それでは知識や感動よりも疲労感だけが残ってしまいますので、ポイントを押さえながら解説したいと思います。

IMG_7213 (2).JPG

まず、電車やバス、車で来られた方はほとんど皆さま正門である南大門から入って行かれます。そのときに慌てて入ってはこの鯛の様な形をした石を見落とします。

IMG_7217.JPG

この鯛石(たいいし)は法隆寺を水害から守ってくれている石です。かつて大雨が降ると、そばにある大和川が氾濫してこの周辺は洪水の災害に見舞われていましたが「「鯛」=「魚」つまり水はここまでしか来ませんよ、」という意味で、この石より奥にある法隆寺は水の災害に遭わないというおまじないの石なのです。

DSC01551 (2).JPG

そしてこの特に威圧感もなく建つ南大門は室町時代の再建とはいえ国宝に指定されています。そしてこの門をくぐってしまいますと、より古い建物が沢山ありますので過去へタイムスリップするためのゲートのようでもあります。

DSC01556 (3).JPG

参道を突き当たりますと、現在修復中の中門があります。こちらも奈良時代初期に建てられました。他の寺院では門の大きさに関わらず柱の数は偶数と決まっていますが、なぜか法隆寺の中門の柱は五本。つまり真ん中が通れないように柱が立てられているという事です。

その理由は解明されていませんが、門の中に聖徳太子一族の怨念を封じ込められており、ある種の結界のような役割をしているという説があり、他にも様々な角度で研究をされていますが、今のところどの説も納得できないものばかりです。

DSC01471 (3).JPG

そして、こちらに向かって睨みを利かす筋骨隆々の阿形(あぎょう)像と吽形(うんぎょう)像。この日本でも最古であろう塑像(そぞう)つまり粘土を固めて造られた像が、1300年もの間、風雪に耐えながらこの中門を守っておられます。

DSC01470 (2).JPG

阿形像がオリジナルなのに対して、吽形は長い歴史の中で体の半分が木材によって補修されていますが、じっくり見ても境目がどこなのかが良くわかりません。本当に昔の造像と補修技術の高さにはいつも度肝を抜かれます。

DSC01561 (2).JPG

中門の前に立つこの石標には「西円堂み祢の薬師如来」と書かれていますが、ほとんどの方がスルーされますので、法隆寺の重要なポイントを見逃している方が多いのです。

DSC01476 (2).JPG

法隆寺の参拝受付は、中門手前を左手に進み回廊の端の入り口からで、案内板に促されて入っていかれるわけですが、そこは軽くスルーして直進して頂くと築地塀(ついじべい)に突き当たる手前で三叉路になります。そこを右手にとると階段の上には西円堂(さいえんどう)が階段の上に建っているのが見えます。

西円堂は奈良時代に橘夫人(橘三千代(たちばなみちよ)=藤原不比等(ふじわらのふひと)の妻、聖武天皇の皇后・光明子の母)の発願で、東大寺創建に尽力された行基(ぎょうき)によって建てられました。現在のものは鎌倉時代に再建された立派な八角円堂で、国宝に指定されています。

DSC01565 (3).JPG

そして堂内には創建時代からと思われる薬師如来像が祀られています。造像の様式は奈良時代の仏像の代表的な特徴の一つ、脱活乾漆(だっかつかんしつ)という技法です。丈六(じょうろく=一丈六尺=立ち上がられたときにおよそ4,85mになる大きさ)のお像で、脱活乾漆像では国内最大級です。とてもふくよかな良いお顔をされた仏像で、国宝に指定されています。

y02 (2).JPG

こちらの薬師如来像は、通称・峰薬師(みねやくし)と呼ばれており、金堂や五重塔がある西院伽藍から離れた少し小高い所で、孤独に衆生を救い続けておられます。特に「耳」の病気に霊験あらたかとされ、耳通しが良くなるように「キリ」を奉納するようになっています。

DSC01570 (2).JPG

さて、あらためて受付に戻って行きますが、先ほどは見過ごした立派なお堂が目に入ってきます。西室(にしむろ)・三経院(さんきょういん)というお堂です。

当初は僧侶の住居として建てられた西室でしたが、後にかつて聖徳太子が勝鬘経(しょうまんぎょう)・維摩経(ゆいまきょう)法華経(ほけきょう)の 三つの経典を注釈されたことにちなみ、一部が改装され三経院とよばれ、経典の講義が行われたお堂となります。そしてこちらもまた...国宝。

まだ一切拝観料も払っていないのに、門もお堂も仏像も国宝だらけ。これだけでも法隆寺が別格な存在だということを感じることができますよね。

【記載内容について】

「地球の歩き方」ホームページに掲載されている情報は、ご利用の際の状況に適しているか、すべて利用者ご自身の責任で判断していただいたうえでご活用ください。

掲載情報は、できるだけ最新で正確なものを掲載するように努めています。しかし、取材後・掲載後に現地の規則や手続きなど各種情報が変更されることがあります。また解釈に見解の相違が生じることもあります。

本ホームページを利用して生じた損失や不都合などについて、弊社は一切責任を負わないものとします。

※情報修正・更新依頼はこちら

【リンク先の情報について】

「地球の歩き方」ホームページから他のウェブサイトなどへリンクをしている場合があります。

リンク先のコンテンツ情報は弊社が運営管理しているものではありません。

ご利用の際は、すべて利用者ご自身の責任で判断したうえでご活用ください。

弊社では情報の信頼性、その利用によって生じた損失や不都合などについて、一切責任を負わないものとします。