厳しさと優しさを伝えた鑑真和上

公開日 : 2018年01月25日
最終更新 :
筆者 : 大向 雅
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そして講堂(こうどう)として使われているこの建物こそが、その当時の平城京に建っていた東朝集殿(ひがしちょうしゅうでん)という建物を移築されたもので、お寺のお堂として改造したものです。平城宮にあった建造物の遺構としては唯一現存するものとして非常に価値が高く、国宝に指定されています。

また薬師寺と同様、講堂の中に如来となられた姿の弥勒仏をお祀りしているのも、古代の形式が残された奈良らしい特徴だと思います。

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鼓楼(ころう)は、西側の対称的位置に建つ鐘楼(しょうろう)に対して「鼓楼」と称されていますが、実は中に太鼓があるわけでなく、鑑真和上が唐から持ってこられた仏舎利(お釈迦さまの遺骨)を安置しており、そのため舎利殿ともいわれています。

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鼓楼は毎年5月19日に梵網会(ぼんもうえ)通称「うちわまき」とよばれる行事が行われることで有名です。 これは鎌倉時代に唐招提寺を復興した覚盛(かくじょう)上人を偲んで行われる行事で、鼓楼の上から数百枚のうちわ(天平時代の夫人が持っている柄杓に似てハート型をしている)が撒かれる行事なのです。

「うちわ」については次のようなエピソードがあります。ある日、修行中の覚盛上人が蚊にさされそうになったのを見ていた弟子の僧が、その蚊を叩こうとしたそうです。しかし覚盛その弟子に向かい「生きとし生けるものは、何らかの施しで支えられている。蚊に自分の血を与えるのも菩薩行である」と諭したそうです。

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覚盛上人が亡くなった後、教えを守るということで法華寺(ほっけじ)の尼僧たちから「せめてこの団扇で蚊を追い払ってください」と霊前に供え、参拝に来られた人たちに授けるようになり、いつしか覚盛上人の命日に行われるようになったのが、この「うちわまき」の由来だそうです。

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御影堂(みえいどう)は、もともとは興福寺の別当坊一乗院の宸殿であったものを、昭和39年に移築された建物です。内部には日本画家の巨匠・東山魁夷(ひがしやまかいい)による5部作もの素晴らしい襖絵が描かれており、「宸殿の間」の奥に安置された厨子(ずし)には国宝・鑑真和上坐像が安置されています。

あいにく現在、御影堂は修理が行われており拝観謝絶の状態で、襖絵は数年お目にかかれませんが、鑑真和上の像は6月5~7日の3日間の開山忌に新宝蔵で公開されます。ただし旧開山堂では精巧に作られたお身代わり像が常時公開されているので、一年を通してそのお顔を拝することができるようになっています。

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境内の一番奥に歩いていくと風情をもった土塀がでてきます。「鑑真和上御廟」と書かれた入り口を一歩入ると、一面ふかふかの苔と背の高い木立に包まれ、何とも言えない空間が広がります。

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参道となる白砂の道の突当ると、八角形に囲まれた墳丘に鑑真和上のお墓である宝筐院塔が立っています。この前ではついつい襟を正したい気持ちになります。

鑑真和上は「日本は仏法興隆に有縁の国...誰もゆかぬなら我がゆかん」と55歳で来日を決意され、日本に正しい仏教の戒律を伝え続け、76歳のとき唐招提寺の宿坊で、西を向いて座したまま静かに波乱の人生を閉じられました。

梢を過ぎる風の音が、和上の厳しくも優しい声のように聞こえ、温かく包まれるような気分になります。唐招提寺はけっして華やかなお寺ではないですが、どこをとっても鑑真和上の人と心が感じられるお寺なのです。

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