平城宮跡資料館で古代ロマンを感じよう
今回は平城宮跡の西側の奈良文化財研究所に隣接している平城宮跡資料館を紹介します。
ここには発掘調査によって出てきた、奈良時代のものと思われる様ざまな遺物をはじめ、精巧なレプリカや当時の宮中の暮らしぶりや役人の使っていた道具なども再現して展示されています。
入館すると、ボランティアガイドさんがやってきて、あれやこれやと説明してくださるので助かります。私も展示物が入れ替わったりした時にお邪魔して、よくお話を聞かせていただきます。
こちらには、なかなか興味深い資料がありまして、例えばこれは昭和37年の平城宮跡の写真ですが、東西に走る近鉄電車のまわりは田んぼだらけなのが良く分かります。
そしてこちらの写真が新しいもの。電車のレールは同じように走っていますが、まわりの風景は全然違っているのが一目瞭然です。平城京遷都1300年祭、世界文化遺産登録などがあったおかげで現在はもっと整備されていますので、このお隣にまたパネルが追加されるかもしれませんね。
これは桓武(かんむ)天皇によって長岡京への遷都の詔(みことのり)が出されて、急ピッチで平城宮の建物を取り壊し、新しい京へ移築するための準備をしているところ。このように解体した後、使える部材は全部持っていく方が、新たに部材を揃える経費を削減できるわけです。
平城宮につきましては、千年以上を経た現代になってから遺跡の発掘調査が始められたわけですが、調査が終わった場所の柱間などを綿密に測量し、奈良時代の建物がどのように建てられていたか現代の我々にも理解しやすいように築地塀などを復元されたり、柱穴の部分には石を置いたりと工夫をされています。
しかも驚くことに、こちらの断面図によりますと奈良時代の本物の遺構は、現在の地面より1m以上も下に現存しており(黒いところが本当の地面)きっちりと保存されているのです。遺構を保護するという労力には本当に頭が下がる思いでいっぱいです。
それから古代の遺物として有名なのが、この木簡(もっかん)とよばれるものです。古代では紙は大変貴重なものでしたから、このように木片に墨で文字を書き記し、必要なくなれば文字を削り取ることで再利用できる優れものでした。
中でも奈良時代に活躍された皇族であり、左大臣も務められた長屋王の名前が記されたこの木簡が、たまたま百貨店建築の為の調査で発掘されたときには、一時期工事を中断して発掘を優先させたりして大騒ぎでした。上の写真でも分かるように長年にわたりこの地は田んぼでしたので、水分を良く含んだ土の中で、朽ちることなく守られてきた歴史の証人なのです。
そのときには約5万点もの木簡が発掘され、その後も多数土中から見つかっており、奈良時代の人々の暮らしぶりが少しでも分かるようにと、日々研究者によって解読が続けられています。
先人たちの残してくれたタイムカプセルを守るために戦っている人たちに感謝しつつ、ぜひ悠久の歴史を感じながら歩いて頂ければと思います。
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