東北地方太平洋沖地震での決断・・・2つの国に住むということ

公開日 : 2011年04月01日
最終更新 :
筆者 : 堀 泰子

マルセイユ特派員Blogしばらく更新が途絶えておりましたことをお詫び申し上げます。

地震が起こった3月11日は、毎年恒例の日本へ一時帰国の時期にあたり日本にいました。

その後、予定の日程よりも3週間も早めてフランスへ3月24日に帰国しました。

日本の対応や危機感と海外からの状況が違いすぎて最後まで迷いました。

各国の反応、対応、状況報告を冷静に受け止めました。

最終的に、4月初旬にどうしてもフランスに滞在する手続きがあるため

地震の影響で今後のフライト状況が読めなかったので帰国を決めました。

マルセイユの入る旅のルートはいろいろとあるのですが、どちらにしても直行便はないので

私はいつもルフトハンザ航空を利用しています。フランクフルト経由でマルセイユ便に乗ります。

今回はまず東京からの便がすべて振替になり、名古屋セントレア空港または関西国際空港と

なりました。最初はソウル経由の便となり、その後も日々フライト状況が変わっていました。

結局、フライト前日に連絡があり、スケジュールが変わり前泊しないと間に合わないため

また変更してやっとマルセイユに帰ってきました。

私にとっても、あの時期に海外在住で帰国を決めた人にとっても苦渋の決断だったと思います。

字のごとく、苦くて渋いカタマリを飲み込んだような気持ちが拭えません。

帰国してからもそのカタマリは日々小さくはなるものの、まだのどに引っかかっています。

今回の記事では私的なことではありますが、地震で考えたことを書きました。

まずは生きていることのありがたさ。重さ。儚さ・・・。

昨日も今日も明日も変わらないと信じれる日常を過ごせることに感謝して

愛する人、家族、友人、私に関わってくれている人々を大切にしようと心から思いました。

そして、困っている人には自分のできる範囲で手を差し伸べていこうと決めました。

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明けない夜明けはないと信じて・・・。

そして、2つの国に住むということは、有事の際には選択をしなければならない

岐路にたたされるということなのだと改めて思いました。

自分で決断するということを迫られるということです。そして決断したら後悔しないこと。

これからは南仏で、私にできる日本への支援活動なども考えています。

また、南フランスからの情報を発信させて頂きます。どうぞ宜しくお願いします。

最後に今回の地震で亡くなられた方たちのご冥福を祈るとともに、

まだ行方のわからない方たちの消息がわかりますように。

様々な事情で離ればなれになっているご家族の方たちが、

一刻も早く一緒に暮らせますように。

そして、命がけで原発事故処理に立ち向かっている方々のご無事を心から願っています。

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