フランスのリヨンで、フルヴィエールの丘からウイルスの終息を祈る

公開日 : 2020年07月08日
最終更新 :

【フランス リヨン便り n°29】

フランスのリヨンを流れるソーヌ川の右岸にフルヴィエールの丘(Colline de Fourvière)と呼ばれる標高318mの小高い丘があり、その頂上に白く輝く教会がリヨンの町を見下ろしています。「青々と茂る木々に覆われた丘、白い教会、青い空」、リヨンの絵はがきそのものの風景ですが、フルヴィエールの丘はリヨンの歴史を語るうえでコアとなる場所であり、別称「祈りの丘」とも呼ばれるように、リヨン人にとって、とても大切な丘なのです。

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地中海からローヌ川を上ってフルヴィエールの丘にやってきた古代ローマ人が、植民市として「ルグドゥヌム(Lugdunum)」を建設したのは紀元前43年のこと。現在、教会が建つ場所に、古代ローマの公共広場「フォルム・ヴェトス(Forum Vetus)」がおかれ、フルヴィエールという名の由来といわれています。

フルヴィエールの丘の教会は、正式には「フルヴィエールのノートルダム大聖堂(Basilique Notre-Dame de Fourvière)」といい、聖マリアに捧げる教会として1872年から1896年にかけて建設されました。

フルヴィエールの丘と聖マリアを結ぶ歴史は古く、1168年に「フォルム・ヴェトス」の跡地に聖トマスを祀る礼拝堂が建設され、のちに聖マリアが祀られるようになったのがはじまりです。

今、私たちが新型コロナウイルスと闘っているように、中世ヨーロッパはペスト菌との闘いでした。ペストは3度にわたって世界規模で猛威をふるい、第二次パンデミックは14世紀から19世紀半ばまで断続的に続き、大きな被害をもたらしました。フランスは1628年からペストが流行し、リヨンも1628年、1631年、1639年、1642年とペストに襲われました。1642年4月5日、リヨンの町役人がフルヴィエールの聖マリアに向かって「ペストからリヨンの町を守ってほしい」と祈りを捧げ、その2日後にフルヴィエールの丘に巡礼行列を実施しました。翌年1643年3月12日、今度はリヨンの町全体で聖マリアに祈り捧げ、「ペストが終息したあかつきには、毎年フルヴィエールの丘に巡礼行列を実施します」という誓願をたてました。この日以降、リヨンはペストに襲われることがなく、リヨンの人々は約束を守って、毎年、聖マリア誕生の日である9月8日に、大砲を3発鳴らしてリヨンの町を清め、リヨン市長の参列のもとフルヴィエールの丘まで巡礼行進し、金貨1枚を献納するという儀式が行われるようになりました。

19世紀にはいって、フルヴィエールの丘の礼拝堂の老朽化が顕著に現れ、鐘楼が崩れかけました。これを機に改装増築が行われ、彫刻家ジョセフ=ユグ・ファビシュ(Joseph-Hugues FABISCH)が手がけた黄金の聖マリア像が鐘楼に設置されました。金箔で覆われたブロンズの聖マリア像は高さ5.60m、重さ3tもします。1852年9月8日、毎年恒例の巡礼行列に続いて、聖マリア像の竣成を祝う儀式が予定されていましたが、あいにくの悪天候で12月に延期することが決定され、「無原罪の聖母の祝日」にあたる12月8日、青く晴れ渡った空の下、リヨンを丘の上から見守る聖マリア像の竣成式が行われました。この日リヨンの人々は窓辺にロウソクを並べ、聖マリアに感謝の祈りを捧げたそうです。それが、今日まで続くリヨンの伝統行事「光の祭典」のはじまりです。

フルヴィエールの丘の聖マリアは多くの巡礼者を呼び、教会に収容しきれなくなってきました。そこで、1853年にフルヴィエール委員会が設立され、増築あるいは新しい教会の建築が検討されました。フルヴィエール委員会はリヨン出身の建築家ピエール・ボッサン(Pierre BOSSAN)に新教会の設計を依頼し、当時、イタリア・シチリア島のパレルモの町に住んでいたボッサンは、パレルモ大聖堂からインスピレーションを得て、ビザンチン、ロマネスク、ゴシック建築の様式を融合させた新しいスタイルの教会を設計しました。ボッサンのプロジェクトはあまりにも斬新であったため、保守的な人々から受け入れてもらえず、新教会の建立はなかなか進捗しませんでした。そんな折、フランスとプロセイン王国(現在のドイツ北部からポーランド西部)との間で戦争(普仏戦争)が勃発し、1870年にプロセイン軍がフランスのパリを陥落しディジョンまで進出してきました。リヨン大司教が「プロセインがリヨンを侵略しなかったら必ず、聖マリアのための教会を建立する」と誓いをたてました。結果はご存知のように、プロセイン軍がリヨンを侵略することなく撤退して戦争が終了、リヨンは再び誓願を守って礼拝堂の横に新しい教会を建立しました。それが、現在のフルヴィエール大聖堂です。

当時、フルヴィエール大聖堂を「仰向けになった白い象」と揶揄する人もいたそうです。そう言われてみると、アプス(後陣)が象の鼻で、四隅の塔が象の足に見えます。

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幅35m、奥行き86mの教会は、白い石を積み上げた鉄筋構造で、遠くからみるとかなりスリムなボディラインです。四隅に配された10角形の塔は高さが48m、それぞれ「力」「正義」「慎重」「節制」を象徴しています。

ファサードや南北の壁に見事な彫刻が施されていますが、4人の彫刻家が20年の年月を費やして実現したものです。一部、未完の彫刻もあるようです。

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大聖堂は地下教会と地上教会の2階層になっています。地上教会に入ると天井、床、壁一面にモザイクが施され、思わず息をのむほどの豪華さです。ビアンコカララの大理石を台座にすらっとのびた16本のポリクロームの円柱が身廊と側廊を区切り、壁には6枚のモザイク画(「オルレアン包囲戦におけるジャンヌ・ダルク」「リヨンに到着した聖ポタン」「エフェソス公会議」「ルイ13世の誓願」「レパントの海戦」「聖マリアの無原罪の教義宣言」)が並び、上部には19世紀の技術を駆使したリテールが美しいステンドグラスが配されています。すべてに聖マリアが描かれています。

8段の階段で床上げされた祭壇に祀られたビアンコカララの大理石でできた聖母子像は、東から差し込む自然光のオーラで包まれ、背後に配された5枚のステンドグラスが拝観者の目を惹きつけます。ステンドグラスはガスパール・ポンセ(Gaspard Poncet)のデッサン画をもとに、ギュスタヴ・モロー(Gustave Moreau)の弟子、ジュルジュ・デコート(Georges Décote)が手がけました。

側廊には8つの礼拝堂が配され、ラリヴェ(Jean-Baptiste Larrivé)、カステックス(Joseph Castex)、ミルフォ(Paul-Emile Millefaut)、プーシュ(Denys Peuch)、デュフレーヌ(Charles Dufraine)、ベローニ(Joseph Belloni)などのすばらし彫刻作品をご覧いただけます。19世紀は彫刻の黄金時代で、ドラマチックで表現力豊かな作品が生み出されています。

地下教会は、地上教会から大理石の階段で結ばれています。現在、地下教会は閉鎖され見学ができません。装飾は簡素ですが、一面にモザイクが張り詰められ、祭壇には聖父子像(キリストと養父のヨセフ)が祀られています。また、各国から贈呈された聖マリア像(彫像や絵画)が飾られ、国によって聖マリアのイメージ(顔や髪型、体型など)が異なり、たいへん興味深いものがあります。

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フルヴィエール大聖堂の横に展望台があり、リヨンを一望できます。眼下にリヨン歴史地区があり、ソーヌ川、プレスキル、ローヌ川、そして天気がよい日は、はるか彼方フレンチアルプスのモンブランまで見渡せます。

いつもであれば外国人観光客でにぎわう場所ですが、アジア系観光客の姿はまったく見られず、それでも、ヨーロッパ国内の移動が許されたこともあり、フランス語以外のヨーロッパ言語をところどころで耳にしました。

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フルヴィエールの丘へはケーブルカーあるいは徒歩で登ることができます。2018年の数字になりますが、フルヴィエールの丘には年間250万人(そのうち巡礼者50万人)が訪れるほど、リヨンでも人気のスポットです。年々増加する観光客や巡礼者をより安全に、より快適に受け入れることができるように、大聖堂周辺の整備が行われています。休憩所やトイレが改装され、インフォメーションセンターも設置されました。大聖堂がガイドつきの見学をオーガナイズしています。ガイドつきの見学(予約要)を利用すれば、大聖堂の塔を階段で上り、最上階に設置された大天使聖ミカエル像のテラスからリヨンを一望するパノラマの景色や、教会内の高檀から地上教会を一望することができます。およそ345段の階段を上りますので、事前に足腰強化が必要となりそうです(が、それは私だけでしょうか......)。

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7月に入り、ウイルス流行が落ち着きをみせるフランスは、日本を含む一部の国の無条件入国を認めています。しかし、世界の新型コロナウイルス感染者数が1000万人を突破し、死亡者数は50万人を超えました。ウイルスのパンデミックはまだ終わりが見えません。神仏に祈るしかないのでしょうか。

私たち一人ひとりができること、それは、「3つの密(密閉・密集・密接)」の回避、マスクの着用、石鹸による手洗い、手指消毒用アルコールや除菌ジェルによる消毒や咳エチケットの励行です。

残念ながらウィズコロナの夏となりますが、「人に感染させない、人から感染しない」を心がけ、夏をエンジョイしましょう!

【フルヴィエール・ノートルダム大聖堂(BASILIQUE NOTRE-DAME DE FOURVIERE)】

・住所: 8 Place de Fourvière 69005 Lyon France

・営業時間: 毎日 07:00〜19:00

・アクセス: 「ヴュー・リヨン(Vieux-Lyon)」駅よりケーブルカーで「フルヴィエール(Fourvière)」駅下車

筆者

フランス特派員

マダムユキ

リヨン在住20年以上。フランス各地の魅力を文化・芸術・建築・食を中心にお届けしたい。

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