フランスのリヨンで、56日ぶりに町を歩く

公開日 : 2020年05月13日
最終更新 :

【フランス リヨン便り n°21】

2020年5月11日は忘れられない日となりました。

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振り返れば、3月12日、マクロン大統領が新型コロナウイルスに関するテレビ演説で、フランスは「感染拡大の初期段階」にあると冒頭で述べ、感染制御のためには「国民の連帯」が必要であると国民に呼びかけました。そして人の移動は必要最小限に、集会は可能な限り制限するとし、3月16日の月曜日以降、保育所から大学までの教育施設を閉鎖することを発表しました。この突然の一斉休校宣言に、年少の子供を抱えながら働く親たちは、「子供が学校に行かずに家にいれば、仕事はどうすればよいのか」と困惑し、一方で3月15日に予定されていた市町村議会選挙は予定どおり実施するという決定に、政府方針の矛盾と政策の不明瞭さが話題になりました。

さらに国民を驚かせたのは3月14日のフランス政府の声明です。フィリップ首相がフランス国内における新型コロナウイルスの加速度的な感染拡大を受けて、感染レベルを「ステージ3」、つまり「全土において活発にウイルスが流行している状態」に引き上げ、その日の24時からレストランやカフェ、映画館、ディスコなどを閉鎖すると発表したからです。マクロン大統領の演説からわずか2日後のことです。ちょうど私は仕事を終えてレストランで食事をしているときに、携帯でそのニュースを知りました。「この食事を最後に外食ができなくなる」という信じがたい思いで、何度も何度もニュースを読み返しました。「狐につままれたような」不思議な感覚に襲われました。ロックダウンの鐘が鳴り響く衝撃的な夜でした。

翌日の3月15日、予定どおり地方選挙の第1回投票が行われました。投票率44.66%と極めて低い水準で終わり、国民がウイルスに対する警戒心を強めたことを物語っていました。また、田舎にセカンドハウスを持っている人は、ロックダウンで身動きできなくなる前に、この日曜日のうちに荷物をまとめて庭付きの家へと引っ越していきました。

3月16日、再び、マクロン大統領がテレビ演説を行いました。4日前とはまったく異なる表情と口調で「ウイルスとの戦争状態にある」と何度も繰り返しながら、翌日17日の正午から少なくとも15日間、仏国内において罰金をともなう外出規制を行うという異例の措置を発表しました。当然ながら、市町村議会選第2回投票は延期となりました。

また、EU共通の決定として同17日正午からEUおよびシェンゲン圏への入境が閉鎖され、EU域外の国とEU圏内の国の間の渡航が30日間停止されることになりました。国境閉鎖は避けがたい措置だと理解していましたが、感情論ではフランスと日本をつなぐ橋が流され、取り残されたような、一抹の寂しさと、「自由」を奪われてしまったことに対する、はけ口のない無意味な憤りを覚えました。

3月17日、食料品や薬局以外の小売店、飲食店のシャッターが下り、ショッピングセンターや映画館が閉鎖され、リヨンの町がゴーストタウンになりました。

新型コロナウイルス感染者数、入院者数、重篤者数、死亡者数は増え続け、マスク不足や検査キット不足、薬品不足、医療従事者不足、病院のベッド不足......、など不足だらけの状況に、政府に対する批判も高まっていきました。

3月27日、予想どおり外出制限の期限が4月15日まで延長され、学校閉鎖期間も4月15日まで延長されました。

4月13日、マクロン大統領のテレビ演説があり、3670万人が視聴するという大統領演説としては過去最高の視聴率を記録しました。国民の関心は「外出制限はいつ解除されるのか」という点にありました。大統領は「5月11日まで外出制限措置を延長」するとし、一方、5月11日以降、大学などの高等教育機関を除き、「託児所および小中高校を段階的に再開する」ことを発表しました。「5月11日から外出制限措置が解除」されるかもしれないという希望が生まれました。

こうして、「5月11日」をキーデートに世の中が動き始めました。4月28日、フィリップ首相が国民議会で外出制限措置解除に係る演説を行い、5月7日の防衛閣議で5月11日からの外出制限緩和が決定されました。

自宅から直線距離で100km圏内という制限付きですが、外出が可能になります。外出する、しないという選択が与えられ、つまり行動の「自由」を再び獲得しました。ただ、ワクチンも治療薬もなく、ウイルスはいたるところで活動しています。「自由」と引き換えに得たものは「ウイルスに感染するかもしれない」という「リスク」と「人にウイルスを感染させてはいけない」という「責任」です。

キーデートの5月11日はフランス全土で雨あるいは曇り空の天気となりました。

リヨンも不安定な空模様でしたが、ときどき、雲と雲との間に青空が広がりました。

56日ぶりにリヨン市内を歩きました。

ローヌ川とソーヌ川で挟まれたプレスキルと呼ばれる中州はリヨンの中心街で商業地区としてにぎわう場所ですが、ほぼロックダウン前の人どおりに戻っていました。友達同士であったり、家族間であったり、ひとり歩きであったり、人それぞれですがすれ違う人がみな、明るい表情をしていました。そしてすれ違うとき、距離を取ろうと意識していることが伝わってきました。今まででは考えられないことです。

私の見る目が変わったのか、世の中が変わったのか......。

マスク着用者が多いことにも驚きました。公共交通機関を利用する場合、11歳以上はマスク着用が義務付けられていますが、町なかの移動は義務ではありません。それでも、ほとんどの人がマスクを着用して外出していました。

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リヨンのテロー広場近くにブションリヨネ(リヨン風ビストロ)が連なる狭い通りがありますが、そこは人の行き来がありませんでした。また、メルシエ通りというレストラン街も閑散としていました。5月11日以降も、レストランやバー、映画館、劇場、博物館などは引き続き閉鎖されています。

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「ウイルスの流行」「病院の受け入れ能力」「PCR検査の能力」という基準に基づき、フランス全土が赤ゾーンと緑ゾーンのふたつに分けられています。各ゾーンで制限緩和が若干異なります。例えば、赤ゾーンは公園や庭園は引き続き閉鎖されますが、緑ゾーンでは開園が許可されます。緑ゾーンでは6月上旬からレストランやカフェが再開する可能性があります。学校も、小学校については5月11日以降に開校となりますが、中学校については緑ゾーンで5月18日から、高校については緑ゾーンで6月上旬からの開校となります。

赤ゾーンは、パリを中心とするイル・ド・フランス圏、ストラスブールを中心とするグラン・テスト圏、ディジョンを中心とするブルゴーニュ・フランシュコンテ圏、リールを中心とするオート・ド・フランス圏、そして海外県のマイヨット県です。リヨンは緑ゾーンにあります。

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これから、「段階的に」「地方ごとに」制限が解除されていきますが、「ウイルスと共に生きる」ことを余儀なくされます。5月11日、「ウイルスとの共生」の第一歩が始まりました。これからです。人の命を守りながら、日常生活をより正常な状態に戻し、経済活動を再開していかなければなりません。3月16日、マクロン大統領が宣言した「ウイルスとの戦争状態」はまだまだ続きます。

それでも、ゴーストタウンと化したリヨンの町に活気が戻ったことがとてもうれしくて、小雨が舞い始めても心は晴れていました。

筆者

フランス特派員

マダムユキ

リヨン在住20年以上。フランス各地の魅力を文化・芸術・建築・食を中心にお届けしたい。

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