フランスのリヨンを離れて、トゥールーズの航空博物館で空を飛ぶ夢に浸る

公開日 : 2020年04月28日
最終更新 :

【フランス リヨン便り n°19】

フランスにおける新型コロナウイルス(SARS-CoV-2)COVID-19の感染はピークに達して横ばい状態を保ち、落ち着きを見せ始めています。

2020年04月26日14時現在で、フランスの感染者数は前日より461人増の12万4575人となり、入院患者数は延べ8万7985人(そのうち、入院中患者数は2万8217人)、退院者数4万4903人、重篤者数4682人、死亡者数2万2856人が確認されています。

世界全体では、2019年12月31日以降の感染者数は延べ284万4712人(ヨーロッパ全体では107万0956人)、死亡者数は20万1315人(ヨーロッパ全体では11万6417人)です。

フランスでは賛否両論ありますが、5月11日以降、段階的に外出制限措置を解除していく方向で動いています。

フランス時間の4月28日15時にフィリップ首相が国民議会で外出制限措置解除に係る詳細な計画を発表する予定です。

家の窓から空を見上げ、気持ちよさそうに羽ばたいている鳥を眺めていたら、人間の「飛行の夢と実現」の歴史を思い出しました。そういえば、昨年になりますが、フランスのリヨンを離れて、フランス南西部のトゥルーズにある「アエロスコピア航空博物館(Musée Aeroscopia)」を訪れたのでご紹介しますね。

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人間はチーターよりずっと遅いかもしれないが、地上を走ることができ、イルカよりずっと下手かもしれないが、水中を泳ぐことができます。ただひとつ、鳥のように空を飛べない。この背中に「翼」があったら空を飛べたのに......「翼」がないのならせめて『メリー・ポピンズ』のように「傘」を開いて空から舞い降りてみたい、『魔女の宅急便』のように「ほうき」にまたがって空を飛んでみたい......私もそう夢見た人のひとりです。そうなんです。「鳥のように大空を自由に飛行できたら」というのは、人間の長年の悲願でした。

「空を飛びたい」という思いを夢から現実にした人たちがいました。

アメリカのライト兄弟がライトフライヤー号で動力飛行を成し遂げたのは1903年のことです。

ライト兄弟の成功前に幾多の試みが行われていました。

フランスのリヨン出身のルイ・ピエール・ムイヤール(Louis Pierre MOUILLARD、1834年-1897年)は、1881年にフランスで刊行された『空の帝王(L'Empire de l'Air)』で、鳥が飛行するとき翼を広げるのをまねて、固定翼を備えたグライダー(滑空機)を提案し、1856年から自作のグライダーで飛行実験を始めましたが、残念ながら成功しませんでした。

ムイヤールのアイディアは、トゥールーズ近郊のミュレ(Muret)出身のクレマン・アデール(Clément ADER、1841年-1925年)に引き継がれました。アデールはムイヤールの着想を取り入れて、1886年、コウモリの翼ような形をした主翼1枚からなる単葉機「エオール号(Eole)」を製作しました。4気筒、20馬力の蒸気機関を搭載して4枚羽のプロペラを駆動させるもので、1890年10月の試験飛行では、およそ20cmの高さを保って約50mの距離を飛びました。動力離陸としては史上初で、ライト兄弟のライトフライヤー号に先立つこと13年です!

フランスの飛行機設計者のロベール・エスノー=ぺルトリ(Robert ESNAULT-PELTERIE, 1881年-1957年)の発明にも触れておきましょう。パリ大学理学部で工学を専攻したエスノー=ぺルトリは、エルロン(aileron)と呼ばれる、飛行機をロール(横転)させるときに使う動翼を発案しました。この補助翼は、左右の主翼の後縁に取り付けて、上下に動いて回転運動を制御しますが、現在でも採用されており、飛行機の窓からその上下運動を見たことがある方も多いと思います。エスノ―=ぺルトリは、1906年からエルロンを取り付けた単葉機「ペリトリ号」の試験飛行をはじめ、1908年に高度30m、飛行距離1200mを記録しました。すごい!

最後にもうひとり、フランスのエンジニアリングの名門校エコール・サントラル・パリを卒業、フランス航空界の先駆者として讃えられるルイ・ブレリオ(Louis BLERIOT、1872年-1936年)です。自身の名前を冠する固定翼ブレリオXI(Blériot XI)号の設計・開発に携わり、1909年7月25日、フランス北部カレー市郊外を離陸して、ドーバー海峡を横断飛行するという偉業を成し遂げました。もっとすごい!

こうしてみると、航空機開発の初期、フランスは歴史に刻まれるパイオニアたちを世に送り出してきたのですね。

もちろん、飛行機の歴史のなかで有名な出来事といえば、アメリカのチャールズ・リンドバーグ(Charles LINDBERGH、1902年-1974年)による大西洋単独無着陸飛行の実現です。リンドバーグは当時25歳の若さで、1927年5月20日、ニューヨークのルーズベルト飛行場を離陸して、5月21日にパリのル・ブルジェ空港に着陸しました。飛行距離5810km、飛行時間33時間29分30秒という長旅でした。もっともっとすごい!

ビリー・ワイルダー監督の『翼よ!あれが巴里の灯だ』と題されるリンドバークの伝記映画をご覧になられた方も多いのでは。

そのころフランスでは、ピエール=ジョルジュ・ラテコエ―ル(Pierre-Georges LATECOERE、1883年-1943年)がトゥールーズにアエロポスタル(AEROPOSTALE)社を設立しました。1927年のことです。ラコステ―ルは空輸便事業を営み、カサブランカやダカールへの郵便輸送の中継地としてトゥールーズを選びました。アエロポスタル社は、リヨン出身で『星の王子様』や『夜間飛行』の著者でもあるアントワーヌ・ド・サン=テグジュペリ(Antoine de SAINT-EXUPERY、1900年-1944年)やジャン・メルモーズ(Jean MERMOZ、1901年-1936年)といった有名なパイロットを雇い、トゥールーズ/カサブランカ間、カサブランカ/ダカール間、トゥールーズ/リオデジャネイロ/レシフェ間といった区間便を開拓し、郵便輸送網を拡大していきました。

第1次、第2次世界大戦を終えて、航空機は大陸間の大量輸送のための主要な交通機関となります。

そして、航空機産業の発展に伴い、アメリカとヨーロッパの技術革新競争が絶え間なく繰り返されていきます。

1960年代まで、フランスをはじめ、ヨーロッパの航空機メーカーはすばらしい機体を製造してきました。

1939年、ドイツのハインケル(Heinkel Flugzeugwerke)社が世界で初めてジェットエンジンの推進力だけで飛行する「He178号」を開発し、ジェット機が市場を制覇していきます。イギリスのデ・ハビランド(De Havilland)社のジョット旅客機「コメット(Comet)」(1949年7月初飛行、1952年5月就航、1982年退役)や、イギリスのホーカー・シドレー(Hawker Siddeley)社の3発ジェット旅客機「トライデント(Trident)」(1962年1月初飛行、1964年4月就航、1990年代後半退役)、さらに、フランスのシュド・アヴィアシオン(Sud Aviation)社の中短距離路線向けジェット旅客機「カラヴェル(Caravelle)」(1955年5月初飛行、1958年就航)などが有名です。特にカラヴェルはリアエンジンと十字尾翼の実用化に成功し、技術面でも他機より優れていたこともあって、エールフランス、スカンジナビア航空をはじめ、ユナイテッド航空などのアメリカの大手航空会社や、フランスの元植民地であるベトナムやラオス、カンボジアの国営航空会社でも採用されるなど、ジェット旅客機として商業的に大成功を収めました。

1970年代から、ボーイング(Boeing)社、マクドネル・ダグラス(McDonnell Douglas)社、ロッキード(Lockheed)社といったアメリカの航空機メーカーが世界の航空機産業における影響力を拡大していきます。

新世代ワイドボディ機(通路2本、座席3列)が登場してから、その代表格でボーイングの象徴となった4発エンジンの「ボーイング747」(1969年2月初飛行、1970年就航)をはじめ、「マクドネル・ダグラスDC-10」(1970年初飛行)、「ロッキードL-1011トライスター」(1970年11月初飛行、1972年就航)が活躍します。なかでも「ボーイング747」は、大量輸送によって海外旅行を大衆化させた画期的な機体で、「ジャンボジェット」の愛称で親しまれ、改良を重ねながら現在も生産が継続しているロングセラーの航空機です。

島国の日本で海外旅行といえば、必ず飛行機を必要としますよね。1970年代から海外渡航者数が急激に増えたもの、大量輸送を可能にし、一般の人でも手の届く価格帯で提供された「ジャンボジェット」のおかげなのです。

アメリカの航空機メーカーの勢力に対抗するには、ヨーロッパ航空機メーカー単独の力では厳しいものがありました。そこで、フランスとイギリスが共同して、今や伝説の機体となりファンが絶えない、超音速旅客機「コンコルド(Concorde)」を開発したのです。通常の旅客機の飛行高度の2倍もの高さ(5万5000から6万フィート)をマッハ2.2で飛行するという驚きの航空機でした。ボーイング747がニューヨーク/ロンドン間をジェット気流に乗って4時間56分で飛行する記録を有してますが、コンコルドは2時間52分59秒で飛行したのですから、ロケットなみの速さです。世界中の注目を集めたコンコルドですが、燃料費やメンテナンスコストの高さからくる収益性の低さもあって、商業的には成功せず、2000年7月25日の墜落事故や2001年9月11日のアメリカ同時多発テロ事件による営業不振から、2003年4月、コンコルドの全機が退役しました。

コンコルドでもアメリカの航空機メーカーの勢いを阻止することができず、1970年、ヨーロッパ航空機メーカーが集まり、国際企業連合として、トゥールーズにあったシュド・アビアシオン(Sud-Aviation)の本社を拠点にエアバス(Airbus)社を設立しました。

エアバス社はヨーロッパ各国のさまざなメーカー部品を使って、世界初の双発ワイドボディ旅客機の開発を進めました。それが「A300」です。エアバスのAと当初の仕様で座席数300席にちなんで名づけられました。エアバス社はヨーロッパ各地の生産拠点から、大型ロケットエンジンや旅客機の主翼や胴体など、特大サイズの部品を最終組立工場まで運ぶ必要があったために、「スーパーグッピー」と名づけらえた超大型輸送機を使用しました。実は、この「スーパーグッピー」はボーイング377「ストラトクルーザー」を改修したもので、アメリカ航空宇宙局(NASA)のロケットや宇宙機の巨大な部品を運ぶために開発された輸送機なのです。競合相手であるボーイング社の輸送機を使用したことで「すべてのエアバス機はボーイングの翼によって届けられる」と揶揄されたこともあります。のちにエアバス社は「ベルーガ」と称される自社製造の輸送機を導入しました。「ベルーガ」はシロイルカの別称で、大型貨物を搭載できるように極めて太い胴体をもち、まさにシロイルカのように愛嬌のあるボディラインで、私の好きな機体のひとつです。

1988年、エアバス社はナローボディ―(単通路)で、旅客機として初めてデジタルコックピット(グラスコックピット)とデジタル式フライ・バイ・ワイヤ操縦システムを採用した双発ジェット旅客機A320を登場させます。この機体は大ヒットし、ナローボディ機の分野で世界的にシェアを拡大させ、創業1916年の老舗で航空宇宙・防衛産業のコングロマリットであるボーイング社に肩を並べるほどに影響力を高めていきました。1990年に入り、今度は「ハイテクジャンボ」と呼ばれ大成功を収めていたボーイング747-400に対抗できるほどの輸送力を有する機体の開発に取り組みます。初期構想からなんと16年の歳月を要しましたが、2005年、史上最大の総2階建てジェット旅客機A380が完成しました。2005年4月27日、トゥールーズで初飛行が行われ、「空飛ぶカジノ」「高級ラウンジ」で豪華旅客機を目指すA380は、世界中のメディアをにぎわせました。日本路線はシンガボール/東京成田線で運行を開始したのが最初です。

現在もアメリカのボーイング社とヨーロッパのエアバス社との間で激しい市場競争が続いています。

少し長くなってしまいましたが、こうして、航空機の歴史を簡単ですが振り返ってみると、なぜトゥルーズに航空博物館が創設されたのか、理解できるのではないでしょうか。

アエロスコピア航空博物館は、トゥールーズ=ブラニャック空港とエアバス社のラガルデール組立工場に隣接し、1万5000平方メートルの敷地に創設されました。航空産業の歴史や科学技術の進歩、人類が成し遂げてきた偉業を次世代に伝え、航空遺産を保存、継承することを目的としていますが、トゥールーズに航空博物館を造りたいという考えは1980年頃に生まれました。博物館の誘致場所、プロジェクト案の策定、予算・資金調達手段、収益性の検討など、具体的に動きだしたのは2000年に入ってからです。誘致場所もいくつかの候補があり、例えば、ラテコレール社の工場跡地、アエロポスタル社、エールフランスのメンテナンス工場などがあったトゥールーズ=モントドラン地区、宇宙開発を主題にしたテーマパーク「シテ・ド・レスパス」の近郊などです。実物の機体を展示することを考えると、大きな機体を運びやすい空港近辺が最適であるという結論から、現在の場所に決まりました。

総額およそ2100万ユーロ(およそ25億円)のプロジェクトですから、資金調達にも時間がかかり、プロジェクトがとん挫しかかったこともありましたが、2011年6月16日に着工式が行われました。2014年3月14日に最初の展示機体が館内に運ばれ、2015年1月13日に開館式、翌日の1月14日に一般公開されました。

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鉄骨構造で格納庫をイメージした総面積8000平方メートルの館内は、伝説となった本物の機体やレプリカなど30体以上が展示されています。

例えば、A300B(旅客機)、コンコルド(旅客機)、カラヴェル(旅客機)、スーパーグッピー(貨物機)、ファルコン10(ビジネスジェット機)、コルヴェット(ビジネスジェット機)、ガゼル(ヘリコプター)、ミラージュIIIC(戦闘機)、サーブ・ドラケン(戦闘機)、ヴォートF-8クルセイダー(戦闘機)、アルエットII(軽ヘリコプター)、フェアチャイルド・メトロライナー(気象観察機)、ブレリオXI(レプリカ)など、飛行機ファンでなくても身近に見てみたいと思う名機が勢ぞろいです。

A300Bは実際に機内に入って、コックピットや貨物室、内部構造が隅々まで観察できるようになっています。

スーパーグッピーは、大型部品を収納する内部も観察できるように展示されています。

また、全長58mの壁一面に、航空技術のパイオニアたち、航空技術の飛躍的発展、戦時中の航空産業、技術革新、性能改良などの航空業界の歴史を振り返るさまざまな出来事が描かれ、それに平行して伝説の機体の模型が展示されています。

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館外にも、旅客機3体(コンコルド、カラヴェル、A400M)が展示されています。

2019年に野外展示スペースが拡大され、館外の展示機体が増えました。エアバス社のA320、A340に加えて、2021年に生産中止が決定したA380も展示されます!

余談ですが、A380は本当に大きいです。利用者にとって本当に快適な機体です。「スーパージャンボ」と呼ばれ、2007年に華々しく運行を開始しましたが、残念ながら、航空会社にとって、最大800人が搭乗可能な総2階建てのA380は大きすぎたようです。そして、1機でおよそ490億円もする機体は高価すぎました。エアバス社では、エミレーツ航空が発注数を162機から123機に減らしたことで、2021年をもって生産中止を決断したようです。

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見学後にひと息入れたい場合、博物館から徒歩1分のところにレストラン「AEROSCOPIA」があります。とても落ち着いた雰囲気の店内で、天気のいい日は庭に面したテラスでランチやティータイムをお楽しみいただけます。

新型コロナウイルス(COVID-19)が終息して、安心して安全に旅行ができる日がきましたら、飛行機に乗って空を飛びたいですね。

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【アエロスコピア航空博物館(MUSEE AEROSCOPIA)】

・住所: 1 Allée André Turcat 31700 Blagnac France

・電話番号: +33 (0)5 34 39 42 00

・開館日: 毎日

・開館時間: 9:30~18:00(フランスの学校休暇中は9:30~19:00)

・入場料: 大人€14

・アクセス: トラム1線(Palais de justice / Aéroconstellation)でBeauzelle-aeroscopia下車、「aeroscopia」の標識に沿って徒歩20分

【お断り】

フランス国内における新型コロナウイルス(COVID-19)の加速度的拡大を受けて、2020年3月14日付けアレテ(省令)の発効により、飲食店、ショッピングセンター、展示ホール、美術館・博物館、視聴覚・会議室・多目的ホール、ダンスホール、屋内スポーツ施設が閉鎖されています。

開館日、開館時間等の情報は、新型コロナウイルスによるロックダウン前の情報になります。

筆者

フランス特派員

マダムユキ

リヨン在住20年以上。フランス各地の魅力を文化・芸術・建築・食を中心にお届けしたい。

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