「2022祇園祭・後祭」宵山から山鉾巡行の朝景色

公開日 : 2022年07月24日
最終更新 :
筆者 : Akio

《後祭・宵山》

23日の祇園祭・後祭(あとまつり)の宵山の様子です。

後祭・宵山の人出は約4万人。

コンチキチン コンチキチン お囃子の音に誘われて

北観音山から南観音山へと歩きました。

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新町通りの空が、夕暮れから夜景へと変わると、駒形提灯の灯りが浮かび上がり、

祇園囃子が始まりました。

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《祗園囃子》

コンチキチン コンチキチン

この音色は、鉦(かね)、笛、太鼓の3つの楽器を使って奏でられています。

かつて鉾の上で能や狂言を演じたことの名残ともいわれています。

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コンチキチンと鳴っているのは鉦。

雅楽の様な、ご詠歌の様な不思議な音。

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先人達が詠まれた、祇園祭の名句も浮かんで来ました。

「遠くより 祇園囃子は こんちきちん」

「われもまた ゆきてまぎれん 祇園囃子の中」 

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「宵山へ 娘二人の 帯結ぶ」

「ゆくもまた かへるも祇園囃子の中」

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祇園祭は、水害や災害等が多発し疫病が発生した時代に

始められたお祭りです。

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山鉾の「鉾に立つ槍」「山に立つ松」には、疫病神が吸い込まれると

言われています。

コンチキチンの音色は 災害や疫病で亡くなられた方々への

鎮魂や祈りの音でもあるのでしょうね。

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↓は祇園祭と同時に行われていた「屏風祭」の一枚。

「屏風祭」では町中の歴史ある町家内部が公開されていて、屏風等、歴史ある品々が展示されていました。

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《24日、後祭り山鉾巡行の朝》

日が明けて24日の朝の山鉾の様子です。

9時30分からの山鉾巡行を前にして各鉾町では巡行の準備が行われていました。

手前が北観音山。奥に見えるのが南観音山。

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北観音山は、「曳山」であるため、真木の代わりに鳴滝から毎年取り寄せた

赤松を立てています。

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こちらは南観音山。

巡行には柳の大枝を差し、山の四隅には菊竹梅蘭の木彫薬玉をつけます。

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《大船鉾》

新町通りから四条通りを渡ると大船鉾です。

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金色に輝く龍頭は高さ約2m、重さ約220kgあるそうです。

大船鉾は『日本書紀』から由来していて、先祭りの船鉾が「出陣」を表すのに対し、

後祭りの大船鉾は戦を終えて戻る「凱旋」の場面を表す鉾です。

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大船鉾は、天命の大火(1788)年に御神体である神功皇后の神面を残して焼失、その後再興されたものの、幕末の蛤御門の変(1864)による火災で鉾本体が焼失、以降は休み鉾となっていました。しかし、近年になってお囃子や飾り席が復活し、2011年には唐櫃(からひつ)に御神体を収めて巡行に参加。2014年には鉾の再建が完了、巡行に本格復帰を果たしました。後祭では殿(しんがり)を務めます。

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以上、2022年の祇園祭りのレポートでした。

筆者

京都特派員

Akio

京都は平安京の頃から、今に至るまで様々な歴史が残っている町。歴史と季節を訪ねながら京都特派員ブログを、綴って行ければと思います。

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