嵯峨野・祇王寺「 祇王が見た秋景色」

公開日 : 2021年11月20日
最終更新 :
筆者 : Akio

嵯峨野・祇王寺の紅葉景色。

紅葉は見頃となっています。(写真は2021年11月20日撮影)

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嵐山から歩くこと約25分。

嵯峨野の奥に祇王寺はあります。

祇王寺は こぢんまりとした尼寺で、行くたびにその狭さに驚きます。

「悲恋に泣いた、白拍子・祇王ゆかりの草庵・祇王寺」とも言われ、平家物語に登場する白拍子(舞いを踊る人)の祇王・祇女・母・仏御前が念仏に専念した尼寺です。

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見上げると、もみじと竹林が空を覆うように広がっています。

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いまから遠い平安時代。

嵯峨野のこの辺りは、静寂そのものでした。

祇王寺から近いところに、化野念仏寺がありますが平安時代のこの辺りは風葬の地でした。

あまりの光景を見かねた空海が、化野念仏寺を建て無縁仏を埋葬したと言われています。

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深まりゆく秋の祇王寺。

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ここには長い時を超えて語られる もうひとつの平家物語があります。

《その物語は......》

祇王は、平清盛の寵愛と手厚い保護を受けていましたが、ある日、仏御前という新しい白拍子(舞いを踊る人)が現れると、平清盛は すっかり魅了されてしまいました。

祇王は、心変わりした平清盛を見て、一句の歌を残して去って行きました。

「萌出るも枯るるも同じ野辺の草 何れか秋にあはで果つべき」 

祇王は嵯峨野のこの地で 妹の祇女・母とともに仏門生活に入りました。

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時が過ぎた日、この庵を訪ねて来た女性がいました。

それは祇王のあと、平清盛から寵愛を受けていた仏御前。

仏御前は祇王が書き残した歌を見て、この地へ訪ねて来たのでした。

そして、自らの非を詫びました。詫びた仏御前は、かぶっていた衣を取ると、

髪を落とした尼の姿でした。

祇王は、その姿に胸を打たれ、仏御前を許し、妹の祇女・母、仏御前とともに、この地で念仏一途の生活に入りました。

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その時、祇王21歳、妹の祇女19歳、母45歳、仏御前は17歳だったそうです。

嵯峨野の奥は、自然の美しいところですが苔むした草庵で暮らすには あまりに若い年齢ですね。

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《平家物語を語る琵琶法師の言葉は......》

「祗園精舎の鐘の声 諸行無常の響あり沙羅雙樹の花の色 盛者必衰の理をあらはす。 おごれる人も久しからず、唯春の夜の夢のごとし」

祇王寺にある碑には「性如禅尼承安二年壬辰八月十五日寂」とあり、「性如禅尼」は妓王のことを指すとされていて、承安2年8月15日(1172年)に死去したとされています。

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遠い平安の時代。

ここにはどんな秋景色が広がっていたのでしょうか。

苔と、もみじと竹林の景色に祇王達が歩んだ、もうひとつの平家物語が浮かんできました。

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【祇王寺】

・住所: 京都市右京区嵯峨鳥居本小坂町32 

・アクセス: JR嵯峨嵐山駅から徒歩約25分。京福電鉄嵐山駅から徒歩約25分。阪急電鉄嵐山駅から祇王寺へは徒歩約35分

・拝観時間: 9:00~16:30

・参拝料: 大人300円・小人(小中高)100円

※障害者手帳をお持ちの方は、提示でご本人のみ参拝料が免除となります

筆者

京都特派員

Akio

京都は平安京の頃から、今に至るまで様々な歴史が残っている町。歴史と季節を訪ねながら京都特派員ブログを、綴って行ければと思います。

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