これがブラタモリでも紹介された御土居。
秋晴れの日、御土居を見に行きました。
まずは、北区大宮土居町の御土居。
フェンスが張られて中には入れませんが、
御土居の大きさが伝わって来ます。
御土居とは何なのでしょうか。
御土居は、今年の1月・NHK「ブラタモリ 京都」でも紹介されていました。
御土居とは、天下統一を成し遂げた豊臣秀吉が,長い戦乱で荒れ果てた
京都の都市改造の一環として外敵の来襲に備える防塁と,
鴨川の氾濫から市街を守る堤防として,天正19年(1591)に多くの経費と
労力を費やして築いた土塁です。
それは、台形の土塁と堀からなり,その延長は22.5キロメートルに
及ぶそうで東は鴨川,北は鷹ヶ峯,西は紙屋川,南は九条あたりに
沿って築かれていました。
土塁の内側を洛中,外側を洛外と呼び,要所には七口を設け,
洛外との出入口でした。
今も残る名に、長坂口・鞍馬口・大原口・粟田口・伏見口・鳥羽口
丹波口などの地名はその名残りとの事です。
その後、江戸時代になると天下太平の世が続き,外敵の脅威もなく
御土居は次第に無用の存在となり,堤防の役割を果たしていたものなどを
除いて次々と取り壊され,北辺を中心に僅かに名残をとどめるのみとなりました。
昭和5年(1930),市内に残る御土居のうち8箇所が,京都の沿革を知るうえに,
重要な遺構として「史跡」に指定,昭和40年(1965)にさらに
1箇所(北野天満宮境内)が追加され,現在9箇所が指定地となっています。
続いて、ここから車で10分位走った所にある
鷹峯街道の和菓子屋・光悦堂さん。
ここは御土居餅が名物。
お店の前は御土居です。
ここもフェンスで囲まれ鍵が掛かっていますが、
お店は、御土居の鍵の管理もされているそうで、
僕の名前と連絡先を記入して、フェンスの中に入れて頂く事が出来ました。
階段を登って御土居へ。
御土居からは、紅葉が始まった山々が見えました。
御土居から見えた、和菓子屋・光悦堂さん。
遠方の山は、比叡山。
御土居を少し進んで、ススキの向こうに見える山は鷹峯の山。
丸い形は、花札ボウズ札の原型とも言われます。
右手の建物奥に見えるのは、大文字の船形の山。
帰ってから、光悦堂さんで買ってきた御土居餅を頂きました。(^.^)
お餅は、二度蒸しして ついたもち米に砂糖、塩、甘煮の赤えんどうを混ぜ、
細長くしたこし餡を包んで、きな粉をかけたお餅です。
豊臣秀吉が京の周囲に築造した御土居に因んで作られています。
御土居餅。とっても美味しいお餅でした。
《今回行った御土居。》
〇 北区大宮土居町の御土居。
〇 鷹ヶ峯・北区旧土居町の御土居。
和菓子《光悦堂さん》
〇所 京都市北区鷹ヶ峯旧土居町1-203
〇御土居餅 1個 130円 賞味期限 当日限り
〇定休日 木曜日
筆者
京都特派員
Akio
京都は平安京の頃から、今に至るまで様々な歴史が残っている町。歴史と季節を訪ねながら京都特派員ブログを、綴って行ければと思います。
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