つれづれなるままに・・・ - 双ヶ丘 -
(← 仁和寺の仁王門から見た双ヶ丘一の丘)
(← 嵐山・大河内山荘から見た双ヶ丘(中央)。左(北)から一の丘、二の丘、三の丘)
(← 一の丘への上り口(右)と遊歩道)
↑ 頂上を見た途端、ひどく落胆!工事現場のような赤土がむき出しの更地です。頂上にはもともと大きな古墳があり、30年近く前に発掘調査された後、崩壊を防ぐために土砂で埋められたそうです。無残な有様はそのせいでしょうか。
(← 埋められた石室羨道入り口)
一の丘と二の丘の鞍部に、また三の丘にも群集墳があるということですが、歩いた道沿いには見当たりませんでした。二の丘の南面に岩座(いわくら)がありましたが、あれがそうだったのか…?
(← 石碑の後ろが一の丘頂上。左(西)側斜面の奥に古墳の石室入り口があります)
〈* 清原夏野(782-837)は天武天皇の皇子・舎人親王の曾孫で政治家、『令義解』(りょうぎのげ)を編纂。清原氏(清少納言はその一人)の始祖。双ヶ丘の東麓、現在の法金剛院がある場所に山荘があった〉
(← 奥の山の斜面は左大文字。その下の建物群は立命館大学)
(↑ 長泉寺)
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