サンタの生まれた地

公開日 : 1999年12月21日
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キリストの死後聖ヨハネが行った2度の布教旅行のルートを知っている人は、日本人の中には

おそらくとても少ない。ノアの箱船がたどり着いたとされるアララト山も、聖母マリアが余生を過ごしたという家も、現在のトルコ共和国の中にある。そしてサンタクロースのモデルとされる聖ニコラスの聖堂がある地中海の小さな街、MYRAも。

サンタクロースのことをトルコ語ではノエルババという。ホテルや高級レストランがノエル・ゲジェシ(聖夜)ディナーなんぞを企画しだしたのは極最近のことだが、サンタクロースはクリスマスというよりクリスマスから1月1日の正月までの季節モノ。どちらかというと正月のものという認識の方が強いかもしれない。はじめてお正月をトルコで迎えた時、1月1日のテレビにサンタクロースが登場して、「あけましておめでとう」と言った時には驚いた。

イスタンブルはつい500年前まではギリシャ正教会の総本山だったわけだから、由緒あるキリスト教教会も意外と多く残されている。ハルビエにある1860年代に作られたという荘厳なカテドラルは、表通りから見えないこともあってあまり知られていない。法王も訪れたというここでの特別な日のミサには興味は惹かれるが、異教徒である私はやはり遠慮すべきか。トルコ人キリスト教(特にカトリック)信者が減少の一途をたどっていると、フランスやイタリアから派遣されているらしい司祭様が嘆く。トルコ語でのミサが始められたのもごくごく近年のことらしく、いまだトルコには神学校はない。海外留学できる裕福なものにしか、神父になる道は開かれていないわけである。

そう言えば今年は、日本の表参道じゃないけれど、イステクラル通りもライトアップされていない。地震の為の自粛なのであろう。不況もあいまって、今年はおとなしく家で新年及びクリスマスをという人も多い。そのせいもあってか、今年は組み立て式クリスマスツリーも結構売れていた。トルコ人の友人は約180CMのツリーをサロンに飾って御満悦。「でもこの<ニューイヤーツリー>を飾ったのは間違いだったかもね。今度は妻が木の下に置くべきプレゼントを待ち望んでしまうから」「えっ、<ニューイヤーツリー>?<クリスマスツリー>とは言わないの?」私が聞きとがめると、「<ノエル・アアジュ(クリスマスツリー)>ともいうけどね。」との答え。正月とクリスマスの一体化がここまで進んでいるのにも改めて驚いたものの、<プレゼントはサンタさんがいい子だけにくれるわけではなく、妻も母も兄弟も待ってしまうもの>であるということは今年新しく学んだ事実であった。まあ、どっちかといえば正月プレゼントであるから<お年玉>って感じなのかな。お年玉にしても、日本の妻は待ってないだろうが。

私は今年のクリスマスは、友人宅でのパーティに参加予定。ラマザン中でもあるからイフタル(断食ブレイクの食事)クリスマス・バージョンか!?うーん、なんか罰当たりだよね。

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