香港エンタメ業界の大功労者が死去

公開日 : 2014年01月08日
最終更新 :
筆者 : 武田信晃

世界的にも有名な香港映画界ですが、その礎を築き、香港テレビ界の発展にも貢献した邵逸夫(Run Run Shaw)氏が2014年1月7日午前6時55分に107歳で亡くなりました。邵死亡のニュースは日本でも報道されましたが、彼は映画とテレビの両方に尽力した香港エンターテインメント界最大の人物といっていい人です。日本的に言えば、松竹映画と日テレの両方を作り上げた人と表現すればわかりやすいでしょうか。

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1907年(明治40年)に寧波で生まれます。6番目の子供ということで後に「6叔」というニックネームがつけられます。本人も気に入ったようで車のナンバーも「6」でした。

1958年に香港で邵氏兄弟電影(Shaw Brothers)という映画会社を設立。60年~70年代は彼の映画の独壇場ともいえるほど発展しました。そして60歳で電視広播(TVB)の創設に参加します。最初は幹部の一人でしたが、いろいろあり最大の株主となります。TVBは香港テレビ業界の75%のシェアを握るといわれるほどに成長していきます。

 唯一の経営判断ミスは、ブルース・リーと契約しなかったことでしょうか。ブルース・リーが要求する金額を受け入れなかったため、彼は別の映画会社、嘉禾電影(Golden Harvest)と契約してヒット映画を連発していきます。

 いずれにしろ、今の香港の有名は俳優は彼がいなければ存在しなかったといっていいでしょう。俳優養成所を建設したり、大学に多額の寄付をして彼の名前がついた棟をつくったり、ノーベル賞ならぬ邵逸夫奨(Shaw Prize)という賞を創設するなど、社会貢献も多大なるものがありました。

筆者

香港特派員

武田信晃

新聞社や香港現地邦人紙の記者/編集者を経て、フリーランス・ライターとして活動中。スポーツ、グルメ、エンタメまで幅広くカバーしている。

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