上ダラムサラにある教会散策。日本との意外な関係にびっくり!
タシデレ!インド北部ダラムサラ特派員の薄田泰代です。ダラムサラといえばチベット仏教を思い浮かべる人も多いのではないでしょうか。しかし実はダラムサラにはとても古くから建っている教会もあるのです。今回は、ダラムサラに160年以上前からある「聖ヨハネ教会」と日本との意外な関係についてご紹介します。
ダラムサラに教会がある!
インド北部のダラムサラといえば、チベット仏教の寺院が数多くあるのが有名ですね。でもそんなダラムサラには、築160年以上にもなるネオゴシック様式の「聖ヨハネ教会」があります。聖ヨハネ教会はマクロードガンジから歩いて15分ほどです。観光名所のダル湖へと向かう森の中にあり、地元では観光地としても有名で他宗教の人々も数多く訪れる教会です。
大地震にも耐えた歴史ある教会
聖ヨハネ教会ができたのは1852年のことです。それは1849年にイギリスが、ダラムサラを軍の駐屯地と定めた3年後のことでした。そのためイギリスによるインド統治の歴史を物語る教会でもあります。その頃、上ダラムサラは駐屯するイギリス人たちの避暑地として栄えていました。しかし1905年、カングラ峡谷一帯が大地震に見舞われ、多くの人が亡くなりました。聖ヨハネ教会も、鐘楼などが損壊しましたが、なんとか全壊は免れます。そして1915年に新しい鐘を再建し、再び歴史を紡ぎはじめたのです。
おっちょこちょいな鐘どろぼう
1915年に再建された鐘ですが、地元で伝わっている面白い話があります。ある日、金属をお金に換えようとやってきた泥棒たちがこの教会の鐘に目をつけました。しかし、運ぶ途中でこの鐘が重たすぎて運ぶことができなくなり、あえなく御用になったという話があります。実は、この話には幾つかのバリエーションが存在します。手で運ぼうとして捕まったという話と、トラックで運ぼうとしたところトラックが故障してそのまま逃げたという話があります。どちらにせよ鐘が盗まれそうになったのは、どうやら本当のようです。なぜなら、今は教会の鐘が盗みだされないようにと柵に囲われているからです。
インド総督と日本の深い関係
聖ヨハネ教会内部には、エルギン伯爵ジェイムズ・ブルース氏へ捧げるモニュメントが置かれています。彼はインド総督としてこの地へ着任した1863年に、心筋梗塞により亡くなりました。実は、そのエルギン伯爵ジェイムズ・ブルース氏ですが、インドへ着任する前の1858年に、日本で江戸幕府と不平等条約である「日英修好通商条約」を調印した際のイギリス代表でもあったのです!日本から遠く離れたこの地で、日本の歴史へ想いを馳せることになるなんてまったく思いもしませんでした。日本との条約を成功(イギリス側から見て)させた後、インドへ着任...当時のイギリスがどれだけ勢いを持っていたかがわかるエピソードですね。
みなさんもダラムサラにいらっしゃった際には、森の中にひっそりと佇むこの教会へお越しになってはいかがでしょうか。歴史のロマンを感じる静かな空間です。
<聖ヨハネ教会>
St. John's Church
マクロードガンジのメインスクエアからバススタンドを越えてダル湖に向かって歩くこと約15分。
閑静な森に囲まれた美しい教会なので、徒歩で行くのがオススメです。
ただし、夜はとても暗くて危ないのでお昼に行きましょう。
※写真撮影NOMAD ART JOURNEY
2016年10月6日提出 ダラムサラ特派員薄田泰代
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