帰らぬ主人を待つ悲しい部屋

公開日 : 2014年03月29日
最終更新 :
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インド初代首相ネルーの愛娘インディラ・ガンディーは、第5代(1966年 - 1977年)第8代(1980年 - 1984年)の首相を務めました。

(マハトマ・ガンディーとの血縁関係はありません)私はかつて、ネルーが獄中で娘のために書いた手紙「わが子に語る世界史」の本にとても共鳴して何度も読んだものです。幼い時から父が何回も逮捕されて獄中で暮らさねばならなかった事を目の当たりにして、どういう気持ちだったのかひじょうに気になります。

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しかし、彼女の政治のやりかたはある意味で乱暴すぎるところがありました。例えば、シク教徒の総本山であるアムリトサルの黄金の寺院からシク分離主義者を追い出すため3千人以上の人が命を落としました。しかも、同じインド人同士の争いで。寺院には当時の痛々しい残虐性により殺されたターバン姿の人たちの写真がたくさん展示されています。

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相当怒りを買ったインディラ・ガンディーは、2人のシク教徒の護衛によって1984年に自分の住居の庭で暗殺されました。暗殺された場所と、彼女の部屋はインディラ・ガンディー記念博物館 Indira Gandhi Memorial Museumとして誰でも見学が出来ます。

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つい、独立の父の方に目がいき、国際空港の名前にもなっているインディラさんの博物館は行きそびれていたのでいいチャンスです。

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まるで、暗殺前から時が止まったような、そしてまだ彼女が生きていて元気に戻って来るような、そんな雰囲気を持っています。でも、暗殺時に着ていた血痕のついたサリーを見ると、矢張り現実に戻されてしまいます。

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驚くほどたくさんの書架。羨ましいくらい本に囲まれています。家族の写真も大事に飾られていました。のちに矢張り暗殺されてしまったナショナルフラッグであるインド航空元パイロットのラジーヴも母親の死後首相につきましたが、矢張り91年にはスリランカの武装分離主勢力の支持者から暗殺されています。

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悲しい運命のもとですが、展示されている中には69年の日本へ訪問したときのパネル写真もありました。そういえば、日光の歴史がある金谷ホテルにもインディラ•ガンディー滞在を祝ったパネル写真が飾られていましたっけ。

手芸もしていたようで、まだ編みかけの作品もありました。

孫と一緒に遊ぶのが楽しいようなことが書かれていました。一瞬にして失われた時間。政治家の宿命なのでしょうか?

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帰らぬご主人を待つ部屋はひっそりと展示されていました。

これだけ見応えのある博物館でしたが、なんと入場無料でした!

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