自分探しのひとり旅②
9月30日のインド各地の報道によると、ロンドンでインド人元中将が4人組の男に襲われてナイフで刺されたということです。一命は取りとめ、現在退院しておりますが、TVのインタビューではこれは純粋なる暗殺行為だと言いました。
またもや、このアマリトサルの黄金の寺院に関連する事件かと長く尾を引いていることに驚かせられます。
1984年、黄金の寺院にシーク教過激派を排除するために、この暗殺されかかった元中将が軍隊を送り込むように指揮をとったというのです。インディラ•ガンジー首相がシークの独立国家を建設中の分離主義者を黄金の寺院から強制的に退去命令を出しました。シーク教徒の総本山にインド軍を送り込み、3000人あまりの死者を出したのです。いくら何でもこの支離滅裂な独裁政治は当然人々の反感を買い、インディラ•ガンジーは同じく84年にデリーの自宅でシーク教徒の護衛に人に刺されて亡くなりました。
血で血を洗う戦争は84年から始まったわけではなく、1919年英国から多量に殺されてしまい、それがきっかけでインドは独立するようになったのです。何万人の命が奪われました。一見穏やかに見えるパンジャブ州ですがいかに血なまぐさい過去があったかは、デリーでのほほんと暮らしていた私にはわかりませんでした。
殆どの博物館でもこのときの戦争模様のパネルや絵画がありました。
黄金の寺院から歩ける距離にあるジャリアーンワーラー庭園で大虐殺があり,今でも弾丸の跡がたくさん残っていました。2万人もの人々がちょうどデモに参加していたときに、容赦なく子どもも弾丸で殺されてしまい、6分間で400人の命を奪ったのです。英国政府がデモや公園での集会を禁じていたのです。この時のダイヤー大将は何しろ150人もの軍隊を送り込み無差別に弾丸を撃ち込みました。
この事件「アムリトサルの大虐殺」は映画ガンジーで描かれています。
今でも巡礼者が多くて、壁の弾丸の跡を見ては涙する人もいました。
このような悲劇を背景にもガンジーはアヒンサー(不殺生)を貫き、次々と集会を開いて行きました。
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