避暑地へゴー!①

公開日 : 2012年06月17日
最終更新 :

2時間半ほどのフライトでもう西ベンガルのダージリンに到着しました。とはいうものの、ダージリン空港というものは存在しません。

最寄りの空港は90㌖も離れているのです。

バグドグラBAGODOGRAという飛行場のある所から、標高2134㍍に目指すダージリンがあるのです。

IMG_1071.jpg

カンチェンジュンガは8,586㍍。世界第3位の憧れの山です。そんなヒマラヤ山脈はトラッキングする人も登山家もたくさん来ているので、ハイシーズンは大混雑。

飛行場に降り立って、むっとする暑さに顔をしかめながら「何が避暑か?」と思いましたが、山の上とは20度くらい温度差があるのだとか。

IMG_1073.jpg

シッキッム出身の友人が手配してくれた車に乗り込んで、ダージリンまでとりあえず行ってもらうことにしました。3時間以上はかかるそうで、ビックリです。

途中にランチ休憩をはさんで(機内食は有料だった上食欲もなかったので辞退していました)、チベット餃子をはじめとする中華風のランチ&冷たいビールで元気を取り戻しました。

DSC07616.JPG

元々林の中にあったベンガル湾。広大な敷地なわけですね。ヒマラヤ山脈と見渡すばかりの茶農園にあるダージリン。英国統治時代に暑さに弱い彼らの避暑地として開拓されていったので、教会も目につくし英国式の建物がありました。

世界史で必ずや登場する「東インド会社」1816年には英国がこの地域を支配していたわけですね。

元々はシッキムの王が支配していたのだけど、ネパールのグルカ族に土地を奪われてしまいました。英国がグルカ族と戦い、土地を再びシッキムに大半は返しましたがまだ英国が管理している土地が多いために、そこで保養地を開拓したり、茶農園を作ったりしたのです。それが英国の「お茶文化」に発展したのですね。

D7K_9123.JPG

インドの広さは頭では理解していたのですが、ドライバーも日本人に似てネパール系のインド人。何となく親しみがわくね、と夫も言っていました。事前に友人が手配してくれていた車なので料金もぼられないというのは一番の安心です。

英国統治時代のこと、お茶の文化や東インド会社の歴史を考えてうつらうつらしていると、ホテルに到着しました。そこから傾斜のきつい坂道をどんどんあがってやっと1泊だけお世話になるホテルへチェックイン。

DSC07539.jpg

「飛行場から3時間」と書けば簡単ですが、その道がバンピーロードしかない状態で、狭い道幅をジープが、ダンプがどんどん通るので大変。しかもちょっと間違えると真っ逆さまに崖から落ちることになりそう。ガンガンと揺れまくり、座っているお尻は痛いし、相当キツイです。

DSC07628.JPG

【記載内容について】

「地球の歩き方」ホームページに掲載されている情報は、ご利用の際の状況に適しているか、すべて利用者ご自身の責任で判断していただいたうえでご活用ください。

掲載情報は、できるだけ最新で正確なものを掲載するように努めています。しかし、取材後・掲載後に現地の規則や手続きなど各種情報が変更されることがあります。また解釈に見解の相違が生じることもあります。

本ホームページを利用して生じた損失や不都合などについて、弊社は一切責任を負わないものとします。

※情報修正・更新依頼はこちら

【リンク先の情報について】

「地球の歩き方」ホームページから他のウェブサイトなどへリンクをしている場合があります。

リンク先のコンテンツ情報は弊社が運営管理しているものではありません。

ご利用の際は、すべて利用者ご自身の責任で判断したうえでご活用ください。

弊社では情報の信頼性、その利用によって生じた損失や不都合などについて、一切責任を負わないものとします。