カル&パルソン問題を勝手に考察

公開日 : 2007年07月21日
最終更新 :
筆者 : 冬野 花

ヒンディー語を勉強する人にとって、まず最初に「え?」となるお決まりの言葉が「カル(KAL)」と「パルソン(PARSON)」です。

「カル」とは、「昨日」という意味。

「パルソン」は「おととい」という意味。

さーて、では「明日」「あさって」は?

なんと、「明日」も「カル」、「あさって」も「パルソン」なんです。

「今日(アージ、AAJ)」を軸に、一日離れた時間が「カル」であり、2日離れた時間が「パルソン」と言えるわけですが、時間の方向性については気にしていないと言えます。

最初はやはり、戸惑いましたよ(笑)。

「じゃぁ、どうやって『明日』なのか『昨日』なのか判断すればいいわけ?」とインド人に聞いたところ、「文脈で分かるんだ」と言われるばかり。

「じゃぁ、『昨日、今日、明日』って言いたい場合はどう言えばいいの?」と聞いたら普通に「kal,parson aur kal(カル、パルソン、そしてカル)」と言えばいいと言われたり・・。

ヒンディー語は動詞が過去形、未来形と活用する言語なので、確かに「文脈で判断すれば」いいと言えばいいし、会話の流れによってもだいたいは「明日」か「昨日」か、もしくは「おととい」か「あさって」かは判断できるものではありますが、

でも、会話って普段は全センテンスを正しくしゃべるものでもないですよね。省けるところはぜーんぶ省いちゃうのが日常会話というもの。

そうするとやはり、たまにこんがらがるんです。

そういう場合は、その部分をわざわざ「Kal, matrab tomorrow..」(カル、つまりトゥモローの事だけど・・)なんて言ったりしています。

例えば、「Yeh to kal ki baat hai na !?」(それは、カルの話でしょ!?)なんてケンカ中に言いたい場面があったりします。

どっちなんだ、って話になりますよね。

「それって、昨日の話でしょ!?」もしくは、「それって明日の話でしょ!?」。

ケンカしているのに、そこでトーンダウンして「というか、つまり、yesterdayの意味で言ったんだけど」って付け加えたりしている内に、なんだか調子が狂ってしまうんですよ(笑)。

しかし、なぜなんでしょうか?

「今」という時点からの距離だけを見て、方向性については定義していないなんて、なんだかそこにインド文化の秘密が隠されているような気がしないでもありません。

「今」という点は、一直線上にあるものではなく、無数にある点のうちの一つなのだ、というような話をたまに聞きます。

つまり、無数の過去が同時に存在し、無数の未来も同時に存在する。全部が点で、そのうちのひとつが「今」なのであって、他の点に行けばそこではまた、そここそが「今」なんである、というような話です。

もしもこの宇宙の仕組みにのっとって考えれば、確かに「今」からの「距離」はあっても、「方向」は決めようがありません。

まぁ、実際にヒンディー語の「カル&パルソン」問題がどんな理由によるものなのかは知り得ませんが、ひょっと、宇宙の仕組みや、時間と空間のなんとやらにまで思いを馳せてしまいそうになるくらい不可解です。

だってそもそも、不便ですもん!

宇宙は球体なのかもしれないけれど、それはさて置いて、「おととい→昨日→今日→明日→あさって」という風に、「便宜上」と割り切って一直線上に並べられるようにすると便利なんだけどなぁ、と何千年もの間、だ〜れも思わなかったんでしょうか?

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