共産主義を行き残ったブカレストの観光地:クレツレスク教会

公開日 : 2019年04月01日
最終更新 :
筆者 : T&O

ルーマニアの首都・ブカレストは共産主義時代を迎える前後で、街中の建物が大きく変わったと言われています。現在は共産主義時代当時に建造された、国民の館などが観光地となっていますが、なかには共産主義時代に取り壊される予定であったにもかかわらず、それが実行されずに現代まで残っている建造物も多くあります。今回は、そのなかの一つであるクレツレスク教会(Biserica Kretzulescu)についてご紹介します。

DSC07319.JPG

※ルーマニア政府公認・日本語ガイドが一押しするブカレストのおすすめ観光スポットはこちらからご覧ください。

クレツレスク教会とは|建立者は誰?名前の由来は?

ブカレストの重要な建築物であるクレツレスク教会は1720~1722年の間に建立された正教会です。その当時のルーマニアは3つに分かれていて、ブカレストが位置している国はワラキアと呼ばれており、その頃のワラキアはブランコヴェアヌ公によって統治されていました。クレツレスク教会の建立者はヨルダケ・クレツレスク宰相と彼の奥さんであったサフタ、ブルガリア公の一人の娘です。

クレツレスク教会はヨルダケ・クレツレスク宰相の名前を冠しています。当時、クレツレスク教会が位置している場所の近くにはブカレストの北に県境があったため、ヨルダケ・クレツレスク宰相はその教会の付近に宿なども建設しました。

DSC07324.jpg

クレツレスク教会の特徴を解説

クレツレスク教会は典型的な正教会の建築です拝廊、身廊と祭壇でできており、上から見るとラテン十字架の形をしています。身廊の上にある塔と拝廊の上にある鐘楼には長細い窓が設置されており、教会の入り口には石づくりの柱の縁側があります。

元々、教会の外壁はコーティングされていましたが、1935~1936年の間に改修された際、赤いレンガのままでされ、現在にいたります。縁側の壁画はオリジナルですが、教会の中の壁画は1859~1860年の間、ゲオルゲ・タタレスクというルーマニアの画家によって描かれました。

DSC07322.JPG

壊される予定だったクレツレスク教会

共産主義の頃、チャウシェスクはクレツレスク教会を壊そうとしていましたが、幸いにもそのプランは叶わないませんでした。その理由は一説によると、ルーマニア革命によってチャウシェスク政権が打倒されたためといわれています。

現在、難を逃れたクレツレスク教会は旧共産党本部、復活記念碑、国立美術館、国立図書館とともに、ブカレストの革命広場に位置している重要観光地の一つとなっています。

【クレツレスク教会】

★住所:Calea Victoriei 45, București 010062

★HP:なし

【記載内容について】

「地球の歩き方」ホームページに掲載されている情報は、ご利用の際の状況に適しているか、すべて利用者ご自身の責任で判断していただいたうえでご活用ください。

掲載情報は、できるだけ最新で正確なものを掲載するように努めています。しかし、取材後・掲載後に現地の規則や手続きなど各種情報が変更されることがあります。また解釈に見解の相違が生じることもあります。

本ホームページを利用して生じた損失や不都合などについて、弊社は一切責任を負わないものとします。

※情報修正・更新依頼はこちら

【リンク先の情報について】

「地球の歩き方」ホームページから他のウェブサイトなどへリンクをしている場合があります。

リンク先のコンテンツ情報は弊社が運営管理しているものではありません。

ご利用の際は、すべて利用者ご自身の責任で判断したうえでご活用ください。

弊社では情報の信頼性、その利用によって生じた損失や不都合などについて、一切責任を負わないものとします。