あの根

公開日 : 2016年08月18日
最終更新 :

がたんごとん。がたんごとん。列車に揺られながら、日本に一時帰国していた時の話を思い出しました。

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 100円ショップでチェコに持っていくものを見て廻り、レジで並んでいる際に、お母さんがまだ小さい娘さんにこんな言葉をかけていました。

 「大切に使おうね。」

 100円ショップでこの言葉をかけられるお母さんはすごいな、と感心させられました。たった100円なんだからいつでも代替可能、それが100円ショップに私が抱いていたイメージでした。

「うん!」と答えた娘さんが、お母さんに、

「あのねあのねあのね...」

 そう話しかけながら寄り添って歩いていきました。

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 「あのね」

 小さな娘さんのお話しの続きは何だったのだろうと想像しながら、「あのね」の後にどんな話が続いたのだろうか、と思いを巡らせてみます。「ここだけの話だけどね」と秘密をこっそり伝えたのでしょうか。「ほんとはね」と、今まで自分が一つの面からしか捉えていなかった人やものへの、違った一面を教えてくれたのでしょうか。「私はね」と、その子だけが感じていた事、考えていたことをそっと伝えたのでしょうか...

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 この「あのね」、私が現在住んでいますチェコの人々にとってはもっとも戸惑う日本語の言葉の一つです。

 チェコ語では"Ano"は「はい」、"Ne"が「いいえ」という言葉です。続けてしまえば「はいいいえ」、チェコ人からすれば一体どっちなの、ということになります。さらにややこしいのは、「No~no~no~(イントネーションが大事なのですが)」と続けると「そうそうそう」、という肯定の意味となってしまいます。

 日々の暮らしの中で、AnoなのかNeなのか、を問われたり、AnoなのかNeなのかだけを聞きたがる人に出会います。相手に「Ano」とだけ言わせようとする人、いつも「Ano」とだけしか言えなくなった人、そんな人に出会うこともあるでしょう。「Ne」が伝えられないそこには、もう「あのね」の居場所はありません。AnoneE(あのねえ)と、自分のありあまるエネルギーmc2を載せてしまってももうそれはアノネになれません。口を開けば「Ne」ばかりを唱えてしまう人、口の中をのぞいてみると、その人の中には何にも「Nee(無ぇ)」、こんどは「Ano」がいられず、再び「あのね」はいられません。シャボン玉のようです。ふわっと浮かんだ瞬間にはそれがあるんだ、と捉えられるけれども、触れば消えてしまい、そして引き出しの中にずっとしまっておくこともできません。 遺伝子の配列のようでもあります。「あのね」をローマ字で書き出してみれば、「Anone」ですが、ほんのちょっと文字が消えてしまっただけ、ほんの一文字増えてしまっただけで、全く異なるメッセージを持ったものへと変容してしまいます。そして、その言葉を受け取った人を、また、その言葉を発した人自身をも変えていってしまいます。

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 あなたの隣に、あなたに「あのね」と言いたい人がいるかもしれません。あなたの隣に「あのね」と言えずにいる人がいるかもしれません。あなたの隣に、あなたが「あのね」と言いたい人がいるかもしれません。あなたが、「あのね」と言えずにいる人がいるかもしれません。

 あなたに、「あのね」と話しかけられる人がいるのなら、「あのね」と話してかけてくれる人がいるのなら、それは幸せなことではないでしょうか。

 「あのね」の生まれる前にあるのはお互いへの想いや、お互いが築いた信頼の畑であり、「あの根」の後に芽吹くものもまた、新たな芽であったり、より大きな芽、より深く、強くなった信頼の「目」かもしれません。

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 チェコを走る電車の中から見える景色は、まるでそれがずっと続いているのではと錯覚するほど、のどかな景色がどこまでも広がっています。旅の中で、そっと「あのね」を出せるのは、そんなどこまでも続いているかのような景色を眺めている時かもしれません。魅力的なものや建造物、イベントや娯楽を楽しむというのも旅の楽しみですが、そんな、「あのね」と始まる会話を紡ぐ機会を与えてくれる、それもまた旅の一つの宝物ではないでしょうか。

 電車の中だけではなくて、モラヴィア地方を訪れた際には、移動の時間が伴います。その時間が、「あのね」の時間となる旅をお過ごし頂けますように。

 秋野紗也佳

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