マイソールシルクって?

公開日 : 2018年06月20日
最終更新 :
筆者 : 竹内里枝

インドは、中国に次いで世界第2位のシルク生産国であり、世界最大のシルク消費国として知られている。生糸のおよそ90%以上は、アンドラ・プラデシュ、カルナタカ、ジャンムー、カシミール、タミル・ナードゥ、西ベンガル州で生産されていて、実は北部ベンガルールは、カルナタカ州におけるシルク生産の大半に貢献している。ベンガルールには「マイソールシルク」という地元で生産されているシルクで作られたサリーが有名である。ベンガル―ルの気候や土地は、蚕の餌となる桑の葉の栽培に適しているので、年間を通じて桑の葉を栽培しながら蚕を育て繭を取りだしている養蚕農家の様子が郊外で見られる。今回は、その中でも北部ベンガルールで見られる、養蚕農家や繭のマーケット、製糸工場と織物工場を紹介したい。

【インド人にとってのシルク】

結婚式や儀式、格式高い行事には、ここぞとばかりにシルクのサリーを身に付けるというインド人女性の習慣は今でも変わらない。

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シルクは、ロイヤリティの象徴と見なされ、歴史的にシルクは上層階級で使用されてた。そしてシルクが日本人よりも身近であるインド人マダム達は、どの州のシルクが高価で質が良いのか、自分のお気に入りはどこなのかも熱く語ってくれる。

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インド各州のシルクが一堂に見られるメラに出かけてみると分かるが、シルクは産地によって質感や光沢、価格も異なるしデザインも異なる。それは一言では語れないほど奥が深い世界だということが分かった。

【マイソールシルクの始まり】

そもそもインドシルクの歴史は古く、紀元前2450年から2000年の間インダス文明の時代から存在していたと言われている。そして、南インド養蚕振興のきっかけは、日本で養蚕を学んだ「インド産業の父」と呼ばれるTATAの創設者Jamshetji Nusserwanji Tataが、1898年ベンガルールの南部Basavanagudiという村でシルクファームを始めたことだった。彼は日本を訪問した際、養蚕の体系的なモデルに感銘を受け、自分の町でも同じモデルを導入したいと考えたのだった。当時のマイソール王国政府は、事業助成金を提供、数台の小型繰糸機を設置、日本から専門家を招聘するなど養蚕の発展に大きく寄与したと言える。以来、インド固有種と日本固有種を掛け合わせた交雑種の開発が進められ、現在は日本固有種由来(過去に日本から来てインドの気候に合うように改良されたもの)の蚕やインド固有種と日本固有種由来のものを掛け合わしたものなどが広く普及している。「マイソールシルク」は、たとえベンガルールで作られていても「マイソールシルク」というブランド名で世に出されている。人によっては、マイソールシルクとベンガルールシルク、カルナタカシルクは異なると言うが、総称して「マイソールシルク」というのが正しいようだ。

【ナンディヒル周辺に点在する養蚕農家】

ぶどう畑が広がるナンディヒル周辺に点在する養蚕農家。

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カルナタカ州には大小含めこういった養蚕農家が、123,442軒もある。よい蚕を育てる条件とは、室温が25℃で湿度を70%保つこと。この農家では、蚕の餌となる桑の葉を育て、蚕が繭になるまでの作業を行っている。

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餌となる桑の葉

糸を吐くようになった蚕は、およそ直径1.5mあるインド伝統的な形である円形の蔟(まぶし)に移されるとわずか2~3日で繭を作る。

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それを一つ一つ丁寧に取り出し、数日間寝かせてマーケットに持っていく。

【繭のマーケット】

養蚕農家によって持ち込まれた繭は、マーケットでセリにかけられる。

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カルナタカ州には、こういったマーケットが46カ所あり、今回訪れたビジャプーラは4番目に大きいマーケット。ここには、毎朝6時から50㎞圏内のおよそ200軒の農家から繭が持ち込まれ、10時半から12時までセリが行われる。以前は、声を張り上げ顔を突き合わせながらセリを行っていたが、2014年からEオークションが取り入れられ、スマートフォンを使って静かにセリが行われるようになった。電光掲示板には、養蚕農家の番号と値段の表示が流れ値段も変わっていく。気になる繭のランクは3つに分けられていて、1キロあたりの値段は、AランクがRs480、BランクがRs410、CランクがRs300。

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素人目線で見ても、繭のふんわり感や透明度の違いでランクに差があることは分かってしまう。因みにこのマーケットの休みは独立記念日とリパブリックデーのみ。それでも毎日完売するというからインドが世界最大のシルク消費国ということに納得。

【繭から生糸を取り出す】

マーケットでセリに落とされた繭は、製糸工場に運ばれ生糸に変わる。

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落札した繭を自転車で運ぶおじさん。

繭から糸を取り出すには熱湯が必要。この時代でも薪や葉で火をおこし、煙と湯気に包まれながら作業を行う。

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写真を撮っている間も熱湯が飛び若干危険だった。

煮ることでほぐれやすくなった繭を素手で取り出し、6つの繭の糸口を探し出し一本の生糸にし繰糸機で枠に巻き上げていく。

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次に枠に巻いた生糸はさらに撚りをかけられ、機械織りにも耐えられる程丈夫になっていく。

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完成した生糸は1キロRs4,000~Rs5,000で取引され染色工場に運ばれていく。

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【生糸を染める】

ここは、生糸の染色場。ここでは、火おこしから染まで全て手作業で行われている。

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職人たちは、ユーカリの木を燃料にし1日中湯を沸かしては染色作業を続ける。製糸工場から運ばれた生糸の束は、オーダーによって一色で染めてしまうもの、グラデーションになるよう何色にも染められるものがある。一束に何色も入るタイプは少々手間で、一色一色染め終わっては隣に色が染みこまないよう境目をしっかりと糸やゴムで結びビニール袋で保護していく。

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この束1つでサリーの縦糸50枚分の計算。これに何色もの横糸を織り交ぜながら織っていくので、1枚のサリーに何色の色が使われいるのか真面目に考え出すと気が遠くなってしまう。

【ようやくたどり着いた織物工場】

カルナタカ州にあるシルクサリーの織物工場は、主要な場所だけでも10カ所以上あり、今回はその中でも生産量の多いドッダバラプーラという村を訪ねた。

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シルクサリーの織物工場は、代々家内工業として少人数で行われているので外から見ていてもなかなか気が付かない。ただし、一歩その集落に入れば機織り機の動く音がガシャガシャと絶え間なく響き渡るので、どの建物でその作業が行われているからすぐに分かってくる。そして停電が起きると一気にその音が止まるといういかにもインドらしい雰囲気なのだ。そんな環境にも負けず人々は作業を続け、1つの織機で1日2枚のサリーが完成する計算。

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この村全体ではおよそ15000台の機織り機が動いているという。ほとんどの家族が現在3~4代目というから、みな100年以上この仕事を続けていることになる。お爺さんの時代は、手織りだったものの徐々に自動機織り機が導入され量産できるようになったという。

ここで織られたシルクサリーは、国内はもちろん海外へも輸出される。それは世界中で暮らすインド人達は、どこにいても自分たちのアイデンティティを保っているからこそ、大切な儀式ではシルクサリーが必要なのだ。

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