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タイで起業し、さらに写真家へ。明石直哉さんが「タイ移住」で切り拓いた道

カテゴリー:生活・習慣・マナー 投稿日:2022年4月21日

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▲バンコク在住歴11年、現在は会社経営と写真家という二足のわらじで活動している明石直哉さん。ナナ地区のアラブ人街にて撮影(写真:明石さん提供)


カメラ片手にバンコクの情緒溢れる路地裏や運河沿い、寺院などを散策しながら写真を撮り歩く「フォトウォーク」というイベントが、日本人向けに開催されている。カメラ初心者でも気軽に参加でき、撮影方法や構図の作り方のレクチャーをはじめ、バンコクの魅力を再発見できると大人気だ。


このユニークなイベントを主催しているのが、バンコク在住歴11年の明石直哉さん(42)。彼はインスタフォロワー数2.8万人超えの写真家で、Webマーケティング会社の経営者としての顔ももつ。


「被写体に "人" を入れることで、ストーリーが生まれるんです」


そう言ってレンズを覗く表情は生き生きとし、彼が切り取った日常風景の写真からは、生活を営む人々の息遣いが感じられる。


そんな明石さんだが、たった4年前はカメラ素人だった。彼はどのような経緯でタイに来て、起業家、そして写真家としての道を歩み始めたのだろうか。話を伺った。


31歳で会社員を辞め、「タイ移住」するまで


1980年生まれ、千葉県出身の明石さんは、休日返上で朝から晩まで働く証券マンの父親を見て育った。いつしか、「仕事ばかりの人生は嫌だ。サラリーマンになったら負けだ」という反骨精神が宿っていた。


高校時代は授業をサボって教師と喧嘩ばかり。そして大学時代は夜遊びに明け暮れ、卒業後も1年ほど定職に就かず、日雇いや短期のアルバイトをしながら旅をするという暮らしをしていた。


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▲大学2年のとき初めてのバックパック旅でマレー半島を横断した。シンガポールの旧マレー鉄道にて撮影(写真:明石さん提供)


24歳のとき、大学時代の同級生に声をかけられ、札幌でイベント企画会社の立ち上げに加わった。「俺たちなら何者かになれる」という根拠のない自信があった。


しかしその鼻はあっという間にへし折られた。事業は失敗。資金は尽きて借金が膨らみ、1年後に解散した。


「正直、世の中なめてました。社会人としての素養のなさを痛感し、身の程を思い知りましたね。『このままではただのイタい奴だ。一度は会社員になって社会経験を積もう』と思い直したんです」


「30歳までは会社員を続ける」と心に決め、26歳のとき東京の一部上場企業に営業として入社。株式上場を目指す企業が上場するまでをサポートをするコンサルティング業務を担いながら、ビジネスの基本を学んでいった。


入社した2006年はミクシィやグリーが上場した年で、第2次ITバブルやIPO(新規株式上場)バブルなどと呼ばれた。株式市場は好況に沸き、新規上場社数は188社にも上っていた。


「上場関連の仕事をしていると営業先でCEOやCFOとお会いすることが多く、彼らのパッションにふれて『やっぱり自分も人生で一度は起業したい』と胸を熱くしました」


ところが2008年、リーマンショックに端を発した世界金融恐慌により株式市場は崩落。2009年の新規上場社数はわずか19社に激減し、明石さんが働く業界も大ダメージを負った。気付けば30歳。これからの10年をどう生きるか模索する日々だった。


そんな明石さんに転機が訪れる。2010年9月、10年ぶりのタイ旅行で首都バンコクに降り立ったとき、驚くべき光景に目を疑った。


「街には高層ビルがひしめいて、高級モールはバブリー感満載でした。タイの若者の多くはiPhoneを手にし、日本より割高な "大戸屋" にはタイ人が大行列をなしていて......。『これが東南アジアのパワーか』と鳥肌が立つほど衝撃を受け、『こんなに景気が良い国ならチャンスがあるかも。自分もこの熱狂の中に身を置きたい!』と思い至ったんです」


「アジアの時代が来ている」と確信した明石さんはタイ移住を決意。タイ旅行から戻った2か月後には退職届を出していた。だがこの決断に不安はなかったのだろうか?


「現地で仕事が見つかるか不安でした。でもバンコクの求人を調べると、現地採用の営業職やコールセンターの仕事などいろんな選択肢があるとわかって、『死ぬことはないはず』と半ば自分に言い聞かせて覚悟を決めました」


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▲タイ移住直前に開催された明石さんの壮行会にて。パーティー終了後に撮影した友人との集合写真。ご本人は後列左から4番目(写真:明石さん提供)


この決意をゆるぎないものにしたのは、ひとつの「後悔」だった。


「僕には "20代のうちに世界一周する" という夢がありました。20歳で東南アジアをバックパック旅行したとき、沢木耕太郎の『深夜特急』を読んで、"男は26歳までに旅をすべし" という一説に強く影響を受けましてね。


でも結局26歳で会社に入って、そのタイミングを逃してしまった。20代で大きな旅ができなかったこと、年を重ねてもはや世界一周への情熱を失ってしまったことを、ずっと後悔していました。だから『今度こそやりたいことをやるんだ』と固く誓ったんです」


2011年4月、明石さんは「35歳までに独立できなかったら日本に帰る」と決めてタイに渡った。31歳のときだった。


34歳で独立。1年目からオウンドメディアがタイの日本人社会で人気に


行動を起こすと運命が味方してくれることがある。明石さんが出国直前に出会った人からの紹介で、バンコクを拠点とする日系フリーペーパーの編集プロダクションに、とんとん拍子で就職が決まったのだ。日本でフリーペーパーはすでに斜陽産業であったが、バンコクでは隆盛を極めていた。


そこから3年半は、現地採用で広告営業マンとして働いた。おもな仕事は紙面やウェブ広告の営業。広告業界はまったくの未経験だったが、コンサルティング時代に培った営業力が生きた。


「苦労したのはライティングです。編集長に赤入れしてもらいながら、必死で基礎から学びました。自分が関わった記事に反響があってクライアントに喜んでもらえたときはやりがいを感じました。『広告の力は凄い』と実感しましたね」


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▲バンコクの日系フリーペーパー・広告営業マン時代。入社4年目のとき、オフィスにて同僚と撮影(写真:明石さん提供)


2014年9月、明石さんは会社に辞意を伝えた。そして2015年1月、35歳になる2か月前に独立。Webマーケティング会社を立ち上げた。


タイのライフスタイル情報を発信するオウンドメディア「YINDEEDマガジン 」の運営のほか、タイ進出する日系企業の集客支援として、ウェブ制作やマーケティング提案、SNS運用代行など、次々と事業を拡大していった。


「起業1年目はオウンドメディア運営に力を入れました。『週5本記事を書く』と決めて、年間200本以上の記事執筆に全力投球しました」


オウンドメディアのアクセス数は順調に伸び、会社の知名度も次第に上がっていった。2022年1月には創業8年目を迎えている。その成功の秘訣はなんだったのか?


「起業当時のタイは『日本語のウェブメディア』や『男性ブロガー』の競合がほぼゼロだったので、その領域を開拓しました。タイの日本人マーケットは小さいので、ポジショニングを明確にしやすいんです。


初期の頃はタイ在住日本人のニーズをとらえた記事作りに集中して、事業が軌道に乗ってから自分が発信したいコンテンツを増やしていきました。その流れも良かったと思います。フリーペーパー時代に培ったマーケティング感覚が武器になりましたね」


38歳で始めた写真が「サイバーパンク風」で大バズり


だが事業が安定してからも、「自分のライティング能力やウェブメディアでの発信に限界を感じて悩んでいた」という。


「2016〜2017年頃から世間でキュレーションメディア問題が取り沙汰されて、企業のオウンドメディア熱も冷めてきていて......。今後はウェブメディアから個人のSNSの時代が来ると感じ、オウンドメディアよりも『明石直哉』という個人の知名度を高めていく必要があると考えていました」


その突破口になったのが、「写真」だった。明石さんが写真の勉強を始めたのは2018年、38歳のときだ。


「きっかけは、SNS運用代行事業の利益率を上げるためでした。コンテンツに挿入する写真を外注することが多かったので、自分でクオリティの高い写真が撮れたら利益率も上がると思いまして」


移住当初に開設したインスタグラムを本格的に運用しようと、撮った写真を試しに投稿してみるも、反応はイマイチだった。そんな彼が、どうやってインスタフォロワー2.8万人超えの写真家へと躍進を遂げたのだろうか?


「"サイバーパンク" という世界観に出会ったんです。近未来感のあるピンクや青のネオンカラーが特徴的で、写真を見た瞬間『カッコいい!』と衝撃を受けました。アジアの都市景観と相性が良くて、僕も試しにその手法で加工してインスタにアップしたところ、過去最高に反響があって仰天しました。『この方法でならいけるかも』と確信したんです」


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▲サイバーパンク風にレタッチされた明石さんの写真。バンコクの歓楽街「ソイ・カウボーイ」にて撮影(写真:明石さん提供)


そこから本腰を入れて写真編集や加工の勉強を開始。タイの日常風景を切り取ったサイバーパンク風の写真を投稿し続けたところ、何度もバズを経験し、「写真にもトレンドがある」ことを肌で感じた。


最初のバズから2か月後には、撮影や写真購入の依頼が舞い込むようになり、「趣味」が「仕事」に変わっていった。フォロワー数も爆発的に増え、現在は受注する仕事の大半がインスタグラム経由だという。


「東南アジアが大好きな僕にとって、その魅力を伝える仕事で飯が食えるなんて、こんな幸せなことはありません。仕事というより遊び、ライフワークに近い感覚なんですよね」


情熱と戦略で人生を動かす


31歳でタイ移住、34歳で起業、そして38歳で写真家デビュー。激動のタイ生活11年を振り返り、明石さんは「ひとつのことに戦略と情熱をもって取り組めば、1年で人生は変わる」と力を込める。


「僕は凡人中の凡人で、なんの取り柄も特技もない人間でした。それがたった数年で、文章を書くこと、広告を作ること、写真を撮ることで生活できるようになった。


自分が情熱を注げることや価値提供できることを真剣に考え、それを発信し続けていたら、周りの景色が180度変わっていたんです。タイ移住して人生がめちゃくちゃ楽しくなりました」


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▲チャオプラヤ川の西側に位置する「トンブリー地区」にて撮影(写真:明石さん提供)


ここから10年先の人生の見通しについても、あくまで客観的かつ冷静だ。


「50代が近づくにつれて、世の中のニーズやトレンドを掴む感性を徐々に失っていくと思います。そうなると、今の仕事がいつまで続くかわからない。だから次の主軸となる新しい事業を創らなければと考えています。


僕はメディアやSNSが主戦場なので、その中で新たな価値を提供できるサービスを開発中です。コロナ禍で仕事が大打撃を受け、防戦一方でしたが、今年からまた新しいチャレンジをしていきます」


そう言って明石さんは少年のような笑みを浮かべた。人生を貪欲に楽しむ彼は、今後どんな新しい顔を我々に見せてくれるのだろうか。


■明石さんの発信活動はこちらからチェック


・Instagram (@naoya_bkk
・Twitter (@naoya_bkk )
・YouTube 「Naoya Akashi
・note 「Naoya Akashi
・オウンドメディア 「YINDEEDマガジン



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日向みく さん

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日向みく さん

バンコク在住ライター。岡山出身。2019年9月より夫の仕事の都合でタイに移り住む。中南米やアフリカ、中東を含む世界41ヵ国100都市以上を訪れた旅好きです。バンコクは世界有数の国際都市でありながら、歴史ある寺院や屋台文化、東南アジアらしい混沌とした路地など新旧が共存する懐の深い場所。世界中を旅したけど私はやっぱりバンコクが一番好き! 現地の観光・文化・グルメなど在住者目線の生の情報を随時お届けします。Twitterでもタイ生活のいろいろを発信中。 DISQUS ID @disqus_dgZksfpphN

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