和太鼓の魅力を世界へ。タイで現地採用として働くRinaさんの挑戦

公開日 : 2021年11月27日
最終更新 :
筆者 : 日向みく
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「和太鼓の魅力を世界に伝える」という夢を叶えるべく、大手商社を脱サラして2021年2月にタイへ移住したRinaさん。コロナ禍での過酷な局面を何度も乗りこえ、バンコクで日本語教師として働いたのち、日系ベンチャー企業で働きはじめた若手のホープです。

そんな彼女にタイ就職の経験談や、和太鼓にかける情熱と今後の展望について伺いました。

大手商社を脱サラしタイ移住。日系ベンチャー企業に就職

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――それではRinaさん、まずは簡単な自己紹介をお願いします。

浅草出身のRinaです。商社の海外営業を脱サラし、2021年2月末にバンコクへ移住しました。

日本語教師として働いたのち、現在は東京新宿に本社を置くIT系のベンチャー企業「Donuts Bangkok(ドーナツバンコク)」に勤務しています。そのほか「タイ駐在チャンネル」というバンコクの日系不動産会社が運営するYouTubeチャンネルのリポーターとしても活動しています。

――現在のお仕事は、具体的にどういったことをされているのでしょうか?

私は新規営業として、タイ国内にある日系企業様向けに「ジョブカン(jobcan)」という勤怠管理や給与計算のシステムを販売しています。

――なぜタイ移住・タイ就職をされたのでしょうか。

一度きりの人生、「大好きな和太鼓の魅力を世界へ伝える」という夢を叶えたかったからです。

夢の原点は幼少期にひと目ぼれした「和太鼓」

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――Rinaさんの夢の原点である「和太鼓」の話をお聞かせください。

私が生まれ育った町は、古きよき下町文化が息づく場所です。初めて「和太鼓」に出会ったのは、4歳のとき。地元「牛嶋神社」の祭りで和太鼓を目にし、その見た目のかっこよさはもちろん、「ドォ~ン」と魂までビリビリと響く音や振動がすごく心地よくて......完全に「ひと目ぼれ」でした。

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4歳のとき人生で初めて太鼓を叩いた

6歳のとき町内会が運営する「和太鼓チーム」に所属して、本格的に太鼓を習い始めました。そこから「和太鼓」の世界にどっぷりとはまり、中学・高校・大学進学後、社会人になってからも活動を続けることに。

高校生のときからチームの最年長としてリーダーを任されました。練習後は深夜までチームミーティング。太鼓チームの活動に専念するために、所属していた部活動を辞め、全力投球しました。和太鼓チームのことが心から大好きで、メンバーはまるで妹や弟みたいにかわいくて...... 

「私が今後、これまでのようにチームの活動に参加できなくなったとしても、彼らが自力で運営し継承していけるような体制を整えてあげたい」

そんな思いでひたすら動いていました。

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6歳から所属する和太鼓チーム「太平太鼓」

――小学校から社会人になるまで「和太鼓」を続けられていたとは、すごい情熱ですね。

そうですね。私の人生において、和太鼓は唯一「長年夢中になれていること」です。

大学では、もともと興味があった「日本の文化」や「日本の歴史」について深く研究しました。卒業論文では、浅草で行われる「三社祭」をテーマに取り上げたのですが......。実はこれがひとつの転機になりました。

「三社祭」の運営にたずさわる町内会に、インタビューを実施したんです。そこで目の当たりにしたのが、深刻な若者の祭り離れや、祭り文化の衰退。また「よそ者には祭りに参加させない」といった排他的な空気感が、その状況を加速させていると感じました。

「三社祭」のような有名な祭りですら、このような危機に直面していることを知り、「自分たち若者が継承して盛り上げていかなければ、伝統文化が廃れてしまう」という強烈な危機感を覚えましたね。

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「和太鼓を世界に広める」という夢を抱くきっかけとなったシンガポール人男性との出会い

卒論提出から数ヵ月後、「三社祭」に参加したときに、目を輝かせて神輿(みこし)の写真を撮っているシンガポール人男性を見かけて「かついでみる?」と神輿をかつがせてあげたんです。すると「とても楽しかった。最高の経験をありがとう!」ってものすごく喜んでくれて...... 心が震えるほど嬉しかった。

「素晴らしい日本の伝統文化である和太鼓を、海外の人にも広めたい」。そんな使命感を抱くきっかけになりました。そのシンガポール人の彼とは今でも繋がっていて、私の人生に大きな影響を与えてくれた大切な存在です。

――Rinaさんが思う「日本文化」の魅力とはなんでしょうか?

その「重みや深さ」を五感で味わえるところです。たとえば和太鼓の場合、見た目の迫力はもちろんですが、実際に叩いてみることで、ビリビリ響くその振動や音を全身で感じとることができます。テレビなどの映像だけだと、魅力が3分の1くらいしか伝わらない気がするんです。

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2019年春の祭りにて、太鼓チーム「太平太鼓」でパフォーマンス(Rinaさん手前)

日本文化の奥ゆかしさって、「体験」してこそ真の意味で楽しめるものだと思っています。だから私は1人でも多くの人に和太鼓を実際に叩いて「体験」してもらい、その魅力を知ってもらいたいんです。

TOEIC300点で単身イギリスへ。世界30ヵ国を旅して「世界は広い」と知った

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ペルーの「マチュピチュ」にて

――Rinaさんが海外に興味を抱いたのはいつ頃からだったのでしょうか?

高校生のときにテレビで「海外特集」を観るのにハマって、そこから「私も海外に行ってみたい」という思いがぼんやりと芽生えました。でも両親に「海外留学してみたい」と相談すると、「そんなの無理、海外なんて危険だよ」と頭ごなしに反対されてしまって......。結局、5年間も説得し続けましたね。

大学生になってからアルバイトでお金を貯めて、留学プランの3種類の見積書を手元に用意して、自分の熱意を両親に伝えたんです。そこでやっと許してもらえましたね。大学4年生のとき、TOEIC300点というレベルにもかかわらず、単身でイギリスへ渡って1年間の留学生活を送りました。

――Rinaさんは豊富な海外経験がおありですが、海外に興味が芽生えたのはいつ頃からだったのでしょうか?

シンプルに「異文化交流」がしたかったんです。しかしまぁ、英語力ほぼゼロの状態でいきなり異国へ飛び込んでしまったので、それはもうたいへんでした。

成長スピードをあげるために「日本人が少ない場所にしよう」と、イギリス南東部の町「ブライトン」という街をあえて選んだんです。英語がまったく話せないのでホストファミリーと意思疎通がまったくとれず、かといって頼れる人も皆無でした。ホストファミリーもきっと、私の扱いに苦労したと思います。

とある日には、ホストマザーとホストブラザーが私の目の前で「今日のRinaのご飯作り担当はアナタでしょ!」と大喧嘩。しまいにはリンゴを投げ始めて......(笑)。ほかにも「シャワーは3分まで」など厳しいルールがあって、とにかく逃げ出したくて。大泣きしながら渾身のジェスチャーでやりとりして、ホストファミリーを変えてもらうなど、最初はとにかく過酷でした。

――自分をそこまで追い込むなんて、すごい勇気ですね。そして目の前でその喧嘩はキツい......(笑)。1年後、なにか変化はありましたか?

まずは「語学力」ですね。イギリスに渡ったばかりの頃は本当に苦労しましたが、「英語ができないと生活できない状況」に自分を強制的に追い込んだことにより、英語力は飛躍的に伸びました。

現地で友達がたくさんできて、彼らに「手作りの和食をふるまう」といった念願の異文化交流の夢も叶えることができ、かけがえのない最高の経験となりました。

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イギリス留学時代

――イギリス留学から戻られたあとは、どうされたのですか?

「一度でいいから海外で働いてみたい!」という思いがつのり、イギリスから帰国するとすぐに、ワーキングホリデーをするためオーストラリアの「メルボルン」という町へ渡りました。まずは現地の語学学校へ通い、そのあとビーガンレストランのウェイターとして勤務。

当時は「ビーガン」という言葉が今ほど世の中に浸透していなくて、職場で初めて「大豆ミート」の存在を知ったり、オーストラリアの食文化である「クロコダイル」や「カンガルー」などを食べてみたり、食の多様性について多くを学びました。そのころには、日常生活には不自由ないレベルの英語力は身についていたと思います。

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オーストラリアのワーホリ時代。友人が誕生日パーティを開いてくれた

イギリス留学とオーストラリアのワーホリを合わせて、大学には2年間長く在籍していました。そのあいだ、たくさん海外旅行もしましたね。南米バックパック旅などをふくめおよそ30ヵ国を旅して、「世界は広くて美しい」と実感しました。

商社で海外営業として働くも、心身ともにボロボロに。自分を見失う日々

――大学卒業後は商社に勤務されたんですよね。

はい。「海外にかかわる仕事がしたい」とずっと思っていたので、海外部署がある鉄関連の会社に「海外営業」として就職しました。

その会社は東南アジアに複数の駐在事務所を構えていて、「駐在員になりたい」という夢があった私は、夏休みにタイの駐在事務所に単独でアポをとってご挨拶に伺いました。アピールの甲斐あってか、実際にタイ担当にしてもらったんですよ。当時、現地の社員の方は「ヘンな子がきた」って驚かれたと思いますが...... (笑)。

――すごい行動力ですね。なぜタイの駐在事務所に訪問されたのでしょうか?

私がこれまで30ヵ国旅したなかで「この国に住みたい」と思ったのが、ぶっちぎりでタイとハワイでした。ご飯がおいしくて、その土地の雰囲気や気候も「自分の肌に合っている」という直観があったんです。でもハワイは物価が高く、ビザ取得も難しいので、やっぱり「タイ」がいいなぁって。

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――リナさんが脱サラしたきっかけはなんだったのでしょうか?

「自分を見失っている」と気づいたからです。

そもそも私が商社に就職したのは「海外の人と関わる仕事がしたかった」から。でも実際には現地の駐在員やローカルスタッフがあいだに入っていたので、海外顧客と直接コンタクトを取ることは難しく、年に数回の海外出張のときしか叶いませんでした。「駐在員になる」という夢にも自分なりにアプローチしましたが、報われませんでした。

いっぽうで仕事は多忙を極め、気づけば「疲れた」が口癖になっていました。月曜日の朝はいつも憂鬱で、死んだ顔をして電車に乗り、朝から晩まで働いて、趣味や習い事も一切できず......変わり映えのない日々。

せっかくの週末休みも仕事のことばかり考え、悪夢にうなされることもありましたね。あれだけ大好きだった太鼓に向ける時間も気力もなく、ほとんど練習に参加することもできませんでした。あの頃はよく泣いていましたね。

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心身ともにボロボロになった、入社1年目の冬。ある日フィリピン出身の友人に「日本人って仕事にクレイジーすぎない? 仕事のために生きているの? Rinaはこのままで幸せなの?」と言われ、その言葉にハッとしました。

それまでは「仕事なんてたいへんで当たり前だし、辞めたら負け」と思い込んでいたけど......「何のために私は商社マンになったんだっけ? 人生の目的って、私の使命って、私の幸せってなんだっけ?」と、あらためて自分自身を見つめ直してみたんです。

そして思い出しました。「そうだ、私は大好きな和太鼓や日本文化を世界に広めたかったんだ!」って。そこから約1年、悩みに悩んで決心したのが、海外で日本語教師として働く道でした。

「日本語教師になって、日本語や日本の伝統文化、そして和太鼓の魅力を世界に広めよう」

そう心に決めたんです。

タイ就職を決意。死に物狂いで勉強し「日本語教師」の免許を半年で取得

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――なるほど。その挑戦の舞台に選んだのが「タイ」だったんですね。そこからまず何をされたんでしょうか?

商社で働きつつ、2020年1月から「日本語教師になるための資格」をとるために専門学校に通いました。1年近くずーっと「仕事を辞めようか、どうしようか」と悩み続けていたのに、学校の授業を2クラスほど受けたら自然と気持ちがかたまって、その2週間後には会社に「辞職」を申し出ていました。

――実際に動いてみたら「踏ん切りがついた」ということでしょうか。

はい、そうですね。ただ会社を辞めたのが2020年3月末で、ちょうどその頃「コロナ」が流行りだしたんです。周囲のみんなに「このタイミングで会社を辞めないほうがいい」と説得されましたね。

でも自分の直観を信じて退職し、そこからがむしゃらに勉強しました。半年で文化庁認定の「日本語教師養成講座(420時間)」を修了し、なんとか「日本語教育能力検定試験」にも合格。

学校に通いながら、2年ぶりに和太鼓チームの活動を再開できたときは、自分らしさを取り戻せたような気がしてうれしかったです。

コロナの影響で渡航できず、11ヵ月間フリーター。生きるだけで必死だった

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和太鼓講師としてプチ起業

――転職活動はいつ頃始められたのでしょうか?

専門学校に通いつつ、2020年5月頃から「タイ就職」のために動き出しました。「日本語教師専用の就活サイト」に登録して仕事を探し、履歴書を送って、模擬授業をして面接を受けましたね。人生初の「海外就職」ということで不安が大きかったので、8月まで就職活動を続け、複数の内定をいただきました。

そしてついに、タイにある日本語学校から「日本語教師」としてのオファーをもらい、「ここにしよう」と決定。予定では2020年9月にタイへ渡航するはずだったんです。飛行機のチケットも買って準備万端だったのに...... 

まさかのコロナの影響でビザがおりず、飛べませんでした。実際にタイへ渡航できたのは、翌年の2021年2月下旬。商社を退職してから、およそ11ヵ月間の「待ちぼうけ」をくらってしまいました。

――えっ、11ヵ月間もですか。その期間は日本でどのように過ごされていたのでしょうか?

想定外の事態で、本当に焦りましたね。正規の仕事はすでに退職してしまったし、専門学校の学費はかかるし、貯金が底を尽きかけていました。とにかく「生きるため」に、できることはなんでもやりましたよ。

日雇いで倉庫の検品の仕事、焼肉屋のアルバイト、オンラインで日本語の教師、和太鼓講師としてプチ起業......必死で働いてお金を稼ぎ、出発の日までどうにか食いつなぎました。

――「和太鼓講師としてプチ起業」とは、いったいどういったものだったのでしょうか?

「海外の方に英語で和太鼓を教えてみたい」という気持ちはずっとあったんです。そこで東京で定期開催されている国際交流イベント「ミートアップ(meetup)」に参加して、外国人に「和太鼓に興味ない?」と思い切って声をかけ、和太鼓レッスンの参加者を募りました。

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ミートアップで出会った外国人向けに和太鼓のレッスン

アメリカ人・韓国人・トリニダードトバゴ人・フィリピン人など、多国籍な生徒さんが集まり、彼らが私の和太鼓レッスンを楽しんでくれる様子を見て「和太鼓の魅力を海外の人に伝えられている」という大きな喜びを感じました。

ビザ問題、極貧生活、内定取り消し......波乱万丈なタイ生活の幕開け

――タイに渡航されたのは、2021年2月ですよね。

はい。翌年の2021年2月末に、ようやくタイに入国できました。それまで本当に長かったです(笑)。「ワーキングビザ」がとれなかったので、結局「観光ビザ」で入りました。

隔離が明けてからの半年間は、タイ人が経営する小さな学校で「日本語教師」として働きました。

――日本語教師のお仕事はいかがでしたか?

とてもやりがいがありました。私が受け持っていたクラスの生徒は中学生以上がメインで、全員タイ人。その多くは「日本語」だけでなく「日本の文化」にも強い興味をもっていました。だから私は、日本語を教えながら日本文化や作法に関する「ミニ知識」も一緒に伝えるようにしたんです。

すると生徒たちは「リナ先生は教科書にはない日本の知識をたくさん教えてくれるから、楽しい!」とすごく喜んでくれて......私が退職するときはわざわざプレゼントを送ってくれる子もいて、本当にうれしかったですね。ありがたいことに、退職した今でも定期的に遊びに誘ってくれる生徒さんがいます。

――そんな日本語教師の仕事を、なぜお辞めになったのでしょうか?

やりがいはあったのですが、とにかく過酷すぎました。週6日勤務で、1日マックス12時間、週にマックス40時間の授業担当。休日はほとんどなく毎日ヘロヘロ。お給料は住宅手当込で毎月3万5000バーツ(≒約11万8500円)で、そこから食費、保険料、奨学金の返済などが引かれて、金銭的にもギリギリの生活。

正直生きていくだけでやっとでした。「このままでは体がもたない」という危機感が芽生え、日本語教師の仕事と並行しながら、転職活動をはじめたんです。

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――タイでの転職活動はどのようにされたのでしょうか?

基本的には「タイの転職エージェント」に登録して探しました。でも、タイの就活でとくに私が大切だと思ったのは「コネクション」ですね。私も実際、友人や知り合いに片っ端から声をかけて、仕事をたくさん紹介してもらいました。

転職活動を始めたのは2021年6月で、7社面接を受けて、8月中旬までに5社の内定をいただくことができました。そのうち4社にお断りし、「ここだ!」と思う1社に決めたのですが......

なんと直前に内定取り消しにあい「コマがゼロ」になってしまったんです。その3週間後にはビザの期限切れになってしまうので、なんとかそれまでに新しい就職先を見つけなければいけないという大ピンチでした。

そこから死に物狂いで再び転職活動をして、1週間で2社内定をいただきました。そのうちの1社が、どん底にいた私を救ってくれた現在の会社です。当時はあまりにも壮絶すぎて、3日で3kg痩せました(笑)。

――おぉ......話をお聞きするだけでハラハラしました。「強制帰国」にならずにすんで、本当によかったです! ちなみに「タイ駐在チャンネル」のリポーターは、どのような経緯で担当されることになったのでしょうか?

インスタグラムのDM経由で、2021年5月にお話をいただきました。前任の方が6月にお辞めになるということで、その後任を任されたんです。

バンコク最大手の日系不動産会社が運営しているチャンネルで、タイ駐在員向けに賃貸物件の紹介や、タイに興味がある人向けに幅広いタイ情報を発信しています。

転職先の日系ベンチャー企業は「自由な風」吹く職場

――現在の職場はどんな環境でしょうか?

従業員100名ほどの日系ベンチャー企業で、そのうち日本人は5名ほど、そのほかはみんなタイ人です。働きはじめてまだ日は浅いですが、職場の「フレキシブルで自由な雰囲気」をさっそく体感しています。

出社時間は8時、9時、10時のなかから自由に選択できます。週休2日制で、「YouTube撮影」のために気軽に平日休みをいただけるのがありがたいです。社員一人ひとりにデスクが与えられていますが、各自好きな場所で作業をしていて、なかには寝転びながら仕事をしている人もいます(笑)。

先日はオフィスで、突然タイ人女性のスタッフが背中にエンジェルの羽をつけて登場し大騒ぎ。いったいなにごとかと戸惑いつつも、「ほんとうに自由な人たちだなぁ~」と笑いました(笑)。

タイは私にエネルギーをくれる場所。この国で可能な限りの挑戦をしたい! 

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現在Rinaさんが働くオフィスにて

――タイにいる期限などは決めていらっしゃるのでしょうか?

現時点では「あと2年」としています。コロナでいろんな予定が狂ってしまったけど、今できることを全力で取り組んで、残された期間で可能な限りの挑戦をしていくつもりです。

「和太鼓の魅力を世界に広める」という夢をタイで実現したいんです。 タイで和太鼓の教室を開いて、チームを作って、発表会をして、私がいなくなっても継承されるところまでもっていきたい。

さらにそこが「異文化交流の場」になってくれたら最高です。社長にも私の夢についてお伝えしているのですが、応援してくださっていて、本当に感謝しかありません。

――現在タイで「和太鼓」に関わる活動はなにかされているのでしょうか?

実は先日、知人が主催するバンコクのイベントで「パフォーマーとして和太鼓を叩いてみないか?」というオファーをいただいたんです! イベントに来場したタイ人を巻き込んで、『鬼滅の刃』など日本の人気アニメの主題歌などに合わせて太鼓のレッスンをするといった体験型のパフォーマンスにする予定です。

現在は準備中ですが、これが実現すれば「和太鼓の魅力をタイに広める」という私の夢への大きな一歩となるので、とてもワクワクしています......! 詳細が決まり次第告知するので、ぜひ私のインスタグラムをチェックしてみてくださいね。

――ここまでいろんな苦労をされてきたと思いますが、それでもタイに来てよかったと思いますか?

心からそう思います。想像よりも少しハードな人生にはなっているけど、タイに来たことで毎日「命いっぱい生きてるな~」って実感できるんです。もうここには、死んだ顔をして満員電車に乗っていた私はいません。タイは私にエネルギーを与えてくれる場所。ここでしかできない挑戦をたくさんさせてもらっています。

"人間が変わる方法には「時間の使い方」「付き合う人」「住む場所」の3つがある"という有名な話がありますが、私はどうせやるなら「全部変えちゃえ」と思いました。人生を変えたければ「動かないことこそがデメリット」です。

人生一度きり。悔いがないように「今やらなきゃいつやる!」の精神で、これからもやりたいことには全力でチャレンジしていきたいです。

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古都アユタヤの太鼓ビレッジで太鼓を購入

――Rinaさんを見ていると「つねに全力で生きている方だ」と感じます。

そうですね、私って常にエネルギー150%で動いていないと気が済まない人間みたいなんです。でもこの生き方はめちゃくちゃ疲れるし、親にも心配をかけちゃうので、本音は「もう少しほどよく生きたい」んですよ。

実は先日、バイクタクシーに乗っていたら交通事故にあってしまい、1週間ほど自宅での療養生活を余儀なくされたんです。引っ越しでバタバタするなかの事故で、「死ぬこと以外かすり傷!」と言い聞かせてなんとか乗り切りましたが......あれは「少しは休みなさいよ」っていう神様からのお告げだったような気がしています(笑)。

――「海外就職」「タイ就職」を考えている方に向けて、ひと言メッセージをお願いします。

「日本が少し窮屈に感じる」「もっとのびのび自由に生きたい」「個性を磨きたい」......そうモヤモヤされている人には、ぜひ「海外就職」を視野に入れてほしいです。簡単なことばかりではないかもしれませんが、私はタイにきて自由になりました。

もちろん日本は大好きです。でも、なにか新しい挑戦をする人にとって、その独特のカルチャーが足枷になる場合があると感じているのも本音です。たとえば「固定観念の強さ」「人と違うことが許容されにくい社会」「ルールや規制の多さ」「本音と建前の文化」など、これらについては私自身がずっと疑問に感じてきたことです。

人生一度きり、「チャンス」は自ら掴みにいくものです。思い切って環境を変えたとき、運命があなたの味方をしてくれるかもしれません。皆さんの挑戦をタイから応援しています! 私も頑張りますね。

■RinaさんのSNSアカウント・YouTubeチャンネル
・RinaさんのInstagram
・Rinaさんがリポーターを務める「タイ駐在チャンネル
・タイ生活や将来の夢についてご友人と語っているインスタライブ


◇インタビューを終えて

生き生きとしたまなざしで、自身の夢を語ってくれたRinaさん。バイタリティにあふれ、どんな困難があっても決して諦めることなく真正面から立ち向かい、その明るさとチャーミングな笑顔で周囲を魅了しつづけています。彼女の人生はまるでジェットコースターのよう。その粘り強さやサバイバル力、夢に向かって行動を起こし実際に形にしていく姿にも驚かされました。「海外就職」「タイ就職」を検討されている方にとって、とても勇気を与えてくれる話だったのではないでしょうか。これからのRinaさんのご活躍も、心より応援しています。

筆者

タイ特派員

日向みく

バンコク在住ライター。中南米やアフリカ、中東を含む世界43ヵ国を訪れた旅好きです。

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