トルコ軍艦エルトゥールル号の遭難慰霊碑
明治23年のトルコ軍艦「エルトゥールル号」の遭難事故後、生存者の救護の一方で遺体の捜索も行われました。
遺体はハイダール士官立会いのもと、事故現場の岩礁「船強羅」を望む樫野崎の丘に埋葬されたと伝えられています。
トルコ軍艦遭難慰霊碑へ
樫野崎灯台へと向かう遊歩道を歩いて行くと、トルコ記念館から200mの距離にトルコ軍艦遭慰霊碑が建立されています。
大きな慰霊碑が見えてくるのですぐわかります。
ここを通るときはいつも手を合わさずにはいられません。
そしていつ来てもきれいにされています。
事故の翌年の明治24年2月に殉難将士の共同墓地が整備され、3月には墓地に慰霊碑と和歌山県による土国軍艦遭難之碑が建立されたそうです。
昭和4年(1929)6月3日、昭和天皇が紀南地方(串本の南・白浜を訪問された後、樫野崎を訪問されています)に行幸の際に樫野崎に立ち寄られ慰霊碑を参詣されました。
この話を聞いたトルコ共和国のケマル・アタチュルク初代大統領が新しい慰霊碑を建てることを決定し、委託を受けた和歌山県が慰霊碑を改修してこのような立派な慰霊碑が完成しました。
昭和12年(1937)6月3日に除幕式が行われています。
慰霊碑では、駐日トルコ共和国大使館との共催で5年ごとに追悼式典が開催されています。
第二次世界大戦中には一時的に中断されたそうですが、明治から途切れることなく交流は受け継がれておりトルコとの友好は続いています。
実際に見ると遠くて分かりにくいのですが、慰霊碑正面の題字です。
そう、これは「土国軍艦遭難之碑」で、明治24年の最初の時に建立された一基をそのままはめ込まれているのです。
エルトゥールル号遭難事故では特派大使海軍将校オスマン・パシャ以下580余名の命が奪われました。
発見された遺体は埋葬されましたが、オスマン・パシャをはじめ、300名以上の将卒の遺体はついに発見されることなく眠り続けているそうです。
*トルコとの友好の証 「トルコ記念館」の記事は こちら
<トルコ軍艦遭難慰霊碑>
・所在地 和歌山県東牟婁郡串本町樫野
・アクセス JR串本駅より串本コミュニティバス大島・出雲線で約44分、樫野崎灯台口下車 徒歩約5分
・駐車場 樫野駐車場 84台(無料)
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