トルコとの友好の証 「トルコ記念館」

公開日 : 2018年04月19日
最終更新 :
筆者 : 麻巳子

明治23年(1890)、トルコ軍艦エルトゥールル号に乗ったオスマントルコ帝国の使節団が来日し、明治天皇に拝謁(はいえつ)した後の帰国途中のできごとでした。

9月16日夜、暴風雨のため紀伊大島樫野崎沖でエルトゥールル号は座礁し沈没。

串本大島の住人が必至の救助にあたり、69名を救出、587名が亡くなりました。

この悲劇を機に犠牲者の慰霊を通じてトルコ国との交流がはじまります。

トルコ記念館ではエルトゥールル号の遺品や写真、資料などを展示公開しています。

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エルトゥールル号遭難事故

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串本町大島に建つトルコ記念館へやってきました!

樫野崎灯台口バス停や樫野崎駐車場(無料)から先は車は通行禁止のため歩きになります。

駐車場から樫野崎灯台まで広い遊歩道が続き、その途中に建つトルコ記念館は駐車場から150mの距離です。

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昭和49年(1974)に、トルコ共和国との友好と国際的な友愛の精神を広く伝えることを目的としてトルコ記念館が建てられてました。

平成27年(2015)6月4日にリニューアルオープンをしています。

以前と外観は変わらないように思いますが、館内はすっかりイメージが変わっています。

リニューアル前は白を基調とした館内でしたが、リニューアル後は黒といった雰囲気で、展示コーナーも広がりより詳しい紹介となっています。

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入館すると右側に受付があり入館料を支払います。

前方には乗船水平の胸像が展示されています。

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胸像の横に並ぶプレートには、エルトゥールル号遭難事故で命を落とされたオスマン帝国海軍の名前が記されています。

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そこから続く奥のコーナーではエルトゥールル号遭難事故の背景や事件の記録などが紹介されています。

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遺族からの寄贈品もあり、救助活動を行った事故当時の地元警察官・川島犬楠巡査が、助けられた乗組員から感謝の気持ちとして手渡された刀剣なども展示されていました。

当時の写真や貴重な資料なども展示されていて、実際に見るとリアルに感じることができました。

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事故発生後、真っ暗な嵐の中、大島の住民は総出で運ばれてきた人々の救助と介抱にあたり、着物や布団の提供はもちろん、台風で漁にも出られず蓄えもわずかだったにもかかわらず、非常食やお正月用の鶏まで提供したそうです。

料理はどうしていたのかを昔お聞きしたことがあるのですが、洋食調理の心得があった村民がいてコックを務めたそうです。

その当時にこの島に洋食料理ができる人がいたなんて意外で驚きました。

大島の方々の救助活動やその後の国の対応など、ここでは詳しく知ることができます。

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いくつかの小窓から遭難現場を見ることができます。

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矢印が指す場所が遭難現場です。

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「船甲羅(ふなごうら)」と呼ばれ、昔から海の難所と知られているそうです。

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小窓にある船のシルエットと船甲羅を合わせて撮影するのが意外と難しかったのですが、こんな風に船強羅にぶつかったのですね。

日本とトルコの結びつきのコーナー

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こちらのコーナーではトルコと日本の絆が紹介されています。

昭和60年(1985)3月17日、イラン・イラク戦争下、イラクのフセイン大統領が

「今から48時間経過後、イラン領空の全航空機を攻撃対象にする」

と世界に向かって発信しました。

各国民が次々と避難していく中、テヘランには飛行機に乗れない200人以上の日本人が取り残されました。

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3月19日のタイムリミット直前、緊迫した状況下で日本人全員を救出してくれたのがトルコの航空機でした。

なぜトルコの航空機なのか私も不思議に思いましたが、その理由はトルコの人々がエルトゥールル号でのことを忘れてはいなかったからです。

トルコの方々が助けてくださってあれからもう30年以上経っていますが、救助活動を通じてトルコとの友情は深まっています。

エルトゥールル号引上げ調査からわかったこと

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こちらは発掘調査によりエルトゥールル号の遺品などが展示されているコーナーです。

リニューアル前にも展示室だった場所です。

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遺品の他にも映像での紹介やトルコとの友情の絆、日本とトルコの友好の架け橋となった野田正太郎さんと山田寅次郎さんを写真や資料で紹介しています。

野田正太郎さんはエルトゥールル号遭難事故の後、生存者をトルコへ送還した軍艦「比叡」「金剛」に同乗した記者で、後にトルコに駐在、山田寅次郎さんは全国で講演を行い新聞記事に募金記事を載せ寄付金を集め、その寄付金をトルコへ届けた方です。

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軍服を着たマネキンが展示されています。

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こちらに120年もの時を経て引き上げられたエルトゥールル号の遺品が展示されています。

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こちらは高さ4.7cmで、表面に小さなくぼみのある8角形のガラスの小瓶です。

海底の谷間から見つかったそうで、ほぼ完全な形なのできれいですね。

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そしてぜひ見たいのがこちらの調理鍋です。

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蓋つきの大きな銅製の調理鍋がほぼ完全な状態で展示されています。

発見された当時、ニュースなどでも話題になった注目の鍋です。

エルトゥールル号の乗組員の分量には十分な大きさの鍋だったのではないかと推測されています。

この鍋でどんな料理が作られたのか気になります。

海底での発掘調査で多くの遺品が発見されましたが、錨はまだ発見されていません。

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最後は展望台へ

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館内を出て階段を上って行きます。

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屋上が展望スペースです。

ここから遭難現場を見ることができます。

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この日はお天気が良くて串本のきれいな海が見渡せました。

青く穏やかな串本の海を見ていると、そのような悲しい事故があった場所だとは思えません。

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船甲羅が見ます。

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ここから眺めると、小さくて船を沈めてしまう原因となった岩礁には見えないのだけれど。

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台風の中、この岩礁に激突し、流入した海水により機関部で爆発を引き起こし沈没してしまいました。

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展望台から樫野崎灯台や慰霊碑が見えます。

目の前の断崖の上に建っていますが、何とか海岸にたどりついた乗組員は岸壁をよじ登り、樫野崎灯台に助けを求めたそうです。

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次は灯台や慰霊碑も紹介したいと思います。

<トルコ記念館>

・住所 和歌山県東牟婁郡串本町樫野1025-25

・電話番号 0735-65-0628

・営業時間 9:00~17:00

・定休日 年中無休

・入館料金 500円(高校生以下 250円)

・アクセス JR串本駅より串本コミュニティバス大島・出雲線で約44分、樫野崎灯台口下車、徒歩約3分

・駐車場 樫野駐車場 84台(無料)

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