紀州漆器のまち黒江

公開日 : 2018年01月08日
最終更新 :
筆者 : 麻巳子

紀州漆器(和歌山県)・会津(福島県)・越前(福井県)・山中(石川県)といえば、日本の四大漆器産地です。

紀州漆器の産地として栄えた海南市黒江(かいなんしくろえ)は、今も紀州漆器の伝統を伝えており、古い街並が残っています。

室町時代より続く歴史ある紀州漆器

黒江の漆器造りの歴史は古く、室町時代に木地師たちが紀州の良質な木材を求めて集まったのが始まりだといわれています。

豊臣秀吉の紀州攻めによって黒江に落ち延びた根来寺の僧侶たちにより黒江に「根来塗り」の技術・技法が伝えられました。

江戸時代には紀州藩の保護を受けて繁栄し、蒔絵技術などの進歩とともに黒江塗りは全国に知られるようになります。

昭和53年(1978)に紀州漆器は国から「伝統的工芸品」として指定を受けました。

昔は川だった川端通り

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この広い通りは「川端通り」といい黒江のメインストリートです。

今では上が覆われて暗渠となり当時の面影はありませんが、大正時代末期までは道路の中央に堀があり川が流れていました。

堀の両側には漆器問屋が軒を連ね、この堀を利用して船で港まで漆器製品を荷出しされていたそうです。

川端通りという名前はその名残です。

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今でも川端通り沿いには漆器問屋が数軒ありますし、昔は漆器問屋だったと思われる古い建物も見ることができます。

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どのお店も開店時間には早かったのですが、店内では素敵な漆器製品が販売されています。

うだつのある家

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川端通り沿いに2軒並ぶように「うたつ」のある家が建っています。

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ご存知の方も多いと思いますが、「うだつ」は町屋の妻壁の横に張り出した袖壁のことです。

装飾の意味もありますが、防火壁として作られました。

昔、黒江に住んでいた母の話では、黒江は火事が多かったと言っていました。

塗り終えた漆を乾燥させるのに、温度を保つように灯明をともしていたため火災が多発したようです。

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黒江の漆器が繁栄していたころを思い巡らさせます。

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