西国三十三所草創1300年 「那智山 青岸渡寺」
那智山 青岸渡寺(なちざん せいがんとじ)は、西国三十三所の第一番札所として名高い古刹です。
1000日間(3年間)滝籠りをされた花山法皇が、永年2年(988)に御幸され、現在の青岸渡寺を第一番にして西国三十三所観音霊場を巡礼されました。
今も全国から多くの信者や観光客が訪れれる寺院です。
豊臣秀吉が再建した本堂
桃山時代に織田信長の焼き討ちにあった本堂は、豊臣秀吉が弟の秀長に命じて天正18年(1590)に再建されたものです。
桃山時代の建築様式をもつ南紀最古の建物で、国の重要文化財、世界遺産の一部に登録されています。
見逃せないのは、秀吉が寄進した堂内の大鰐口!
直径1.4m、重さ450gと日本一の大鰐口です。
神仏習合時代の面影を残す青岸渡寺
青岸渡寺の御本尊は如意輪観世音菩薩です。
秘仏のため今回はお姿を拝見できませんでした。
2月3日の豆まき大法会、4月の開山祭献茶法要、8月17日のお盆精霊追善大法要の年3回御開帳されるそうです。
伝承では仁徳天皇時代(319~399)に、インドから熊野浦に漂着した僧・裸形(らぎょう)上人が那智の滝での修行中に滝壺で得た如意輪観音を、草庵を建て本尊として安置したのが青岸渡寺の始まりとされています。
後に推古天皇の勅願で生仏上人(しょうぶつしょうにん)が伽藍を建立しました。
丈六の本尊を安置して、その胎内に裸形上人得徳の如意輪観音を納めて安置したといわれています。
かつて青岸渡寺は「如意輪堂」と呼ばれていました。
もとは那智の滝を中心とした神仏習合の一大修験道場だった青岸渡寺。
明治の神仏分離令で熊野本宮大社と熊野速玉大社の仏堂は全て取り壊されましたが、熊野那智大社は西国三十三所霊場ということもあり如意輪堂は免れたようです。
お堂はあっても廃寺状態でしたので、明治7年に信者の手により青岸渡寺として再興されました。
現在も熊野那智大社と隣接しており、熊野の神仏習合時代の頃の面影を残しています。
西国三十三所 草創1300年記念「特別印」
西国三十三寺院では、2017年1月から事業終了日まで、限定御朱印「特別印」が授与されています。(御朱印料 300円)
特別印は各寺院オリジナルで、青岸渡寺は三重塔と那智の滝の風景デザインとなっています。
<青岸渡寺>
・住所 和歌山県東牟婁郡那智勝浦町那智山8番地
・拝観料 不要
・アクセス
(バスの場合) 紀伊勝浦駅から熊野交通路線バス「那智山行き」で約30分、終点バス停下車、徒歩15分(石段が続く表参道があります)
(車の場合)
県道46号線沿いのお土産物屋さんの駐車場を利用されるか、
県道46号線から青岸渡寺の防災道路を通り駐車場へ。(防災道路通行料 800円)
熊野那智大社の防災道路とは違いますのでご注意くださいね。
青岸渡寺の駐車場です。
本堂に一番近い駐車場なので、お身体が不自由な方、小さなお子様がいられる方はとても便利ですよ。
画像は駐車場前から撮影した風景で、参道正面あたりに見える建物が本堂、その手前右の建物がお土産物や軽食がいただける見晴亭さんと、その隣にはトイレがあります。
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