No.29【コラム】秋の日のヴィオロンの...もう一つの物語

公開日 : 2014年11月07日
最終更新 :
筆者 : 冠 ゆき

 上田敏による訳のあまりの素晴らしさ故に、日本で最も有名なフランス詩の一つとなったポール・ヴェルレーヌの「秋の歌」。

 「秋の日の/ヴィオロンの/ためいきの/身にしみて/ひたぶるに/うら悲し」の一節で始まるこの詩は、秋の憂いを叙情豊かに歌い上げるものだ。秋深まるこの季節には、思い返す方も多いであろう。

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 実は、この悲しくも美しい一節に、もう一つの物語があることをご存知だろうか。

 それは、この詩の内容とは全く関係のない、きな臭い話となる。

No.9【コラム】1914-1944-2014:その弐No.10 ノルマンディー上陸ビーチの見どころ案内No.20【コラム】ナチスドイツが夢のあと:「大西洋の壁」で触れたように、第二次世界大戦中、フランスは、四年間ドイツによる占領を受けた。もっとも初期に占領されたのは、フランス北部である。

1940年時点のフランス(自由地域は南の白い部分のみ)

 ご覧の通り、まさに、私の住む北の端トゥルコアン周辺もその中に含まれていた。

ついでに言えば、この辺りは、第一次世界大戦でもドイツの占領を受けていた。

黄色い線は1915年時点の前線。リールやその周りはドイツ側になっている。

 第一次大戦休戦が1918年。その後わずか21年で、第二次世界大戦が勃発したのである。21年といえば、今から遡れば1993年である。世代にもよるとは思うが、90年代はまだまだ最近に思える方も多いのではなかろうか。

 つまり、このドイツによる二度目の占領は、前回のドイツ占領がまだ非常に記憶に新しい頃、起きたことなのである。当然、反発も激しく、「レジスタンス」と呼ばれる対独抵抗運動の地下組織が生まれた。

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レジスタンス運動のシンボル、ロレーヌ十字

 この抵抗運動を呼びかけたのは、ロンドンに亡命したシャルル・ド・ゴール将軍。イギリスに到着したその翌日、彼が行った「6月18日演説」は、BBC放送局のラジオ・ロンドルで、フランスに向け、二日に亘って放送された。

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6月18日演説文

 よく読むと、この演説の中で、ドゴールは早くもこの戦争は世界戦争になるという予測を立てている。また、フランスのすべての軍人、技師、工員に、自分と連絡を取るように呼びかけている。

 余談ながら、65年後の2005年6月18日に、この1940年6月18日演説は、ユネスコ記憶遺産に登録された。

 ラジオ・ロンドルは、この日より、ロンドンからフランス人に向けてフランス語で放送されたラジオ放送の名前で、内容は、歌や、ジョーク、小話のほか、個人的なメッセージも含んでいた。この個人メッセージの中では、大陸にいるレジスタンス活動家たちへの暗号も流していた。

 当然、ナチス・ドイツは、このラジオを聞くことを禁止し、罰則を定めもしたが、人々がラジオ・ロンドルを聞くのを止めることはできなかった。

 レジスタンスの活動は多岐にわたり、サボタージュや軍事的抵抗のみでなく、非合法な新聞作りやビラまき、ストライキやデモの準備、対独協力拒否者やユダヤ人の救済なども行っていた。

サボタージュの様子

 連合軍によるノルマンディー上陸作戦(いわゆるネプチューン作戦)についても、本土のレジスタンス活動家たちは、前もって連絡を受けていた。その実行時を知らせる暗号に使われたのが、実は、表題のヴェルレーヌの詩だったのだ。

 ラジオ・ロンドル放送の個人宛メッセージに紛れて、最初の三行「Les sanglots longs/Des violons/De l'automne(秋の日の/ヴィオロンの/ためいきの)」が流されたのは、1944年6月1日、2日、3日の夕べ。これにより、本土のレジスタンス活動家たちは、連合軍の上陸が間近であるということを知った。詩の続き、次の三行が放送されれば、直ちに予定の行動を起こすよう指示を受けていたのだ。おそらく皆、固唾を呑んで、毎日ラジオ・ロンドルに耳を傾けたことであろう。

 次の三行「Blessent mon coeur/D'une langueur/Monotone.(身にしみて/ひたぶるに/うら悲し)」が放送されたのは、1944年6月5日21時15分。まさしくノルマンディー上陸実行の前夜であった。

 ドイツ軍も当然のことながら、この暗号を傍受した。特にトゥルコアンにその本拠を置いていた15部隊司令部には、暗号解読のための大掛かりな設備があり、ヴェルレーヌの詩もここで正しく解読され、23万人で成る第15部隊は、直ちに警戒態勢に置かれた。

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ドイツ軍第15部隊司令部のあったブンケル内部/トゥルコアン

 しかしながら、ドイツ軍は、連合軍の上陸の場所を、ノルマンディーよりずっと北のノール・パドカレー沿岸と想定していた。実際、No.20に書いた大西洋の壁も、ノール・パドカレー沿岸が最も強固に作られている。そのため、暗号解読後、ドイツが軍備補強を行ったのは、ノルマンディーではなく、北部のノール・パドカレー沿岸であった。

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パドカレー沿岸

 No.20で紹介したトート砲座近くへ脚を運べば、ドーヴァーの断崖も手に取るように見えるほど、イギリスはすぐそこである。連合軍が上陸するとすればこの近くに違いないと、ドイツ軍が想定したのも無理ないことであろう。

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海の向こうのドーヴァー断崖

 上記ドイツ第15部隊司令部の置かれたブンケルは、現在1944年6月5日博物館としてトゥルコアンに残っている。長くなるので、この博物館については、稿を改めて紹介したい。

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1944年6月5日博物館

 上述ラジオ・ロンドルが最後に放送されたのは、1944年10月25日であった。このとき流されたのは、ベートーベンの交響曲第五番。

 何故か?

 この最初の四音はモールス信号で言えば「トン・トン・トン・ツー」となり、これは、勝利(Victory)を意味する「V」を表すからだ。

 No.9【コラム】1914-1944-2014:その弐で取り上げた名画『史上最大の作戦(原題: the longest day)』(1962)のバックに、この四音が時折流れるのは、そういう背景があるからである。

 ヴェルレーヌの詩の内容とはかけ離れた戦時の話。しかし、時間を経て振り返ってみれば、「げにわれは/うらぶれて/ここかしこ/さだめなく/とび散らふ/落葉かな」という第三連に、諸行無常を感じるような気がするのは、考えすぎだろうか。

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 他のコラムはこちらから見られます。意図したわけではないのですが、今のところ、戦争物が続いてしまっています。

筆者

フランス特派員

冠 ゆき

1994年より海外生活。これでに訪れた国は約40ヵ国。フランスと世界のあれこれを切り取り日本に紹介しています。

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