モントリオールの「カナダ鉄道博物館」への旅(4):カナダ初の鉄道誕生モニュメントを訪れる

公開日 : 2015年05月26日
最終更新 :
筆者 : MAKOTO
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モントリオール郊外に、La Prairie(ラ・プレーリ)という、ガイドブックに載らない小さな街があります。

今を遡ること約400年前。大航海時代の後期に海外進出を目論んでいたフランスは1627年、カナダでの毛皮交易独占を目的とした「Company of One Hundred Associates」という100人の出資者が経費と利益を分け合う貿易会社を王の庇護のもとに作ります。カナダに初めて到達したジャック・カルティエをはじめとするすべての活動の経済的支援は、この会社のもとに行われました。

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ラ・プレーリは一連の活動の中で見出され、行動を共にしていたキリスト教イエズス会に引き渡されるとカナダ先住民への布教活動の拠点となりました。中心部は歩いて15分ほどで一周できるほど小さく、今は幹線道路で隔てられていますが、セントローレンス川のほとりにある静かな街です。

それは突然現れた

ここに来た目的は、カナダで最初に営業を始めた鉄道「Champlain and St. Lawrence Railroad」を記念するモニュメントを探すため。誰に聞いてもどこを見ても正確な場所がわからず、街に入ってみたものの特別な看板があるわけでもなく、2時間ほど周辺を含めてグルグルと回り、途方に暮れてあきらめて帰ろうと角を曲がり幹線道路に出ようとしたその時、それは突然目の前に現れました。

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「まるで墓石のようだ」

クルマを停め、触れてみると冷んやりとした石の感触が、一層そう思わせます。

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First Railway in Canada

connected Laprairie to Saint-Jean.

Begun in 1835, it was completed in 1837.

C.M.H.Q.

最後の C.M.H.Q. が何の略なのかは未だ分からずじまいですが、この街からセント・ジーン(正確にはSaint-Jean-sur-Richelieu)を結ぶわずか16マイル(26キロ)の完成は1835年。終点のセント・ジーンは交通の要所であるだけでなく、フランスとイギリスがその時代ごとに砦を築いた軍事的要所。

鉄道とはいうものの、敷かれたレールは木製。最初に走ったイギリス製の蒸気機関車「The Dorchester」は、鉄道の父と呼ばれたジョージ・スチーブンソン(George Stephenson)の息子ロバートによるもの。はるばる船でモントリオールの港まで運ばれ、この街に持ち込まれたのだそう。

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旅の途中で買い求めた、CN(カナダナショナル鉄道)の職員用タイムテーブル。「Champlain area」とあり、おそらくこれはかつての「 Champlain and St. Lawrence Railroad」を含むものだと想像して、記念に購入しました。

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裏表紙は、そのエリアがどこなのかを示す手書きの路線図が。ケベック・モントリオール・キングストンというカナダの都市は北限で、セントローレンス川から大西洋に向かう南向きの鉄道路線になっています。

モニュメントの場所は、ここです。

カナダ鉄道史のゼロ・ポイント。つるはしを持った屈強な男達が土地を拓き、石を積み上げ、レールを敷いてカナダの国土をつなぐ夢は、ここから始まります。

カナダを一つにする、見果てぬ夢の始まり

世界第二の広さを誇る国土を一つにする。当時は国家的悲願とも言える見果てぬ夢物語でしたが、カナダ先住民が暮らす大地から生み出される天然資源の「富」を見出したヨーロッパ人達は、何とかこれを運びだしたい。

時は18世紀イギリス産業革命の後半。イギリス臣民として行き来の自由が保証されていた時代。チャップリンが、1936年に製作した「モダン・タイムス」で描いた、経済の爆発的発展を遂げるイギリスが抱える病にあえぐ人々が、大英帝国の「コモンウエルス」の一員であるカナダを「ラスト・フロンティア」とし、大挙して海を渡ってくる気分が理解できるような気がします。

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"Canadian Pacific Posters 1883-1963, Marc H. Choko David L. Jones, 1999"

これは1933年に作られたカナダ太平洋鉄道のイギリス向けのポスターですが、当時のイギリスにおける宣伝文句として人々の心をつかんだのが、"Home-Seekers & Land-Seekers" ということば。今どきに訳せば、「広い家と牧場経営があなたのものに!」という感じでしょうか。

"Information as to

AGRICULTURAL SETTLEMENT OPPRTUNITIES

will be supplied on application to

THE CANADIAN PACIFIC RAILWAY

DEPT.OF IMMIGRATION AND COLONIZATION

at

CALGARY, EDMONTON, SASKATOON

WINNIPEG OR MONTREAL"

カナダへの農業移民を募集するポスターが、イギリスの移民局で配られていたというのは、驚きです。

冬を乗り越えるために

次々と訪れる移民の力により、カナダの生産力は上がります。そして生まれた物資は、蒸気機関による鉄道技術がイギリスで確立するとカナダに持ち込まれ、港から船で世界へと「富」を運び出すシステムの一部としての鉄道路線が、国の経済の根幹に関わる大事業となりました。一年の半分以上が雪と氷に閉ざされるカナダで、季節に関わりなく安定した物流を確保することは悲願とも言えること。

ついには凍ったセントローレンス川の氷の上にレールを敷き、蒸気機関車を走らせるというようなことまで行われるほどでした。

また不凍港(冬でも凍らない港)を求めたカナダは、南部のアメリカの港へと路線を接続します。こうしてカナダの鉄道建設は東部で盛んに行われ、政治の力も加わり多くの路線が無秩序に誕生しました。

「路線空白」の西へ

西への路線拡張は、専門家の目には「不可能を可能にする国家事業」と映ります。

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硬い岩盤のある不毛の「カナダ盾状地」の中心部を貫き、湖と沼と草原が延々と続く平原地帯を攻略し、最後にはそびえ立つロッキー山脈の山越え。カナダ西部の鉄道路線開拓は、幾重にも重なる難工事が待ち受けていました。

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カナダ鉄道史は倒産と合併の歴史。夢を実現する大陸横断鉄道は、建設が始まる前も、建設中も、建設後も難問が山積みとなり、その複雑な経過に思わずため息がでるほどです。

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上の3枚の写真は、3年前のVIA鉄道の車窓から見た風景ですが、こんな所に鉄道を通したのか、とその苦労は想像がつかないほどです。

こうした状況下においても前進を続けたのは、北米大陸で先に独立を果たしたアメリカ合衆国の脅威という政治的状況があったことは間違いありません。

アメリカが独立宣言を行った1776年から1世紀になろうとする頃、カナダはようやく建国へと向けた準備を始めます。その条件の一つとされたカナダ東部と西部を結ぶ大陸横断鉄道の建設はまた、カナダがアメリカ合衆国との国境線を強く意識せざろう得ません。

広大な大地があるとは言え、鉄道建設可能なルートは限られています。莫大は費用をどこから調達するのか? 完成後の採算をどう取るのか? 次から次へと湧き出てくる難問に一つ一つ答えを出しながら、カナダ初の大陸横断鉄道の建設が始まります。

カナダ太平洋鉄道の完成

1881年から始まった工事は、オンタリオ州ボンフィールドを東の起点とし西の終点ブリティッシュコロンビア州クラゲラチーまでの区間。様々な政治的事件が発生するなか、1885年レールに最後の釘を打ち込み、カナダ太平洋鉄道(Canadian Pacific Railway)が誕生します。

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この写真は、2013年にVIA鉄道でトロントに向けて出発した西の玄関口となる、バンクーバー・パシフィックセントラル駅です。

カナダの東海岸と西海岸を完全に結ぶ「Coast to Coast(海から海へ)」路線となったのは、その5年後。International Railway of Maine 鉄道によってケベック〜ニューブランズウィック州の港町セントジョンへの路線が開通した時でした。

もう一つの大陸横断鉄道

実はカナダにはもう一つ、大陸横断鉄道が存在します。

国家的事業として行われたカナダ太平洋鉄道完成から遡ること約40年。後にカナダ最大の鉄道網となる「グランドトランク鉄道(Grand Trunk Railway)」が誕生します。営業は、1852年モントリオール〜トロント間。その後、南はアメリカ合衆国メイン州ポートランド、西はオンタリオ州国境の街サーニア、東は大西洋岸のMaritimes(ニューブランズウィック州、ノバスコシア州、プリンスエドワード島)へ拡大し、北米東部を網の目のように結びます。

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写真はモンクトン駅に入ってくるオーシャン号(2006年)。

カナダ太平洋鉄道完成後の1905年になると子会社 Grand Trunk Pacific Railway が発足し、1913年までの間にオンタリオ州北西部からマニトバ州ウイニペグに到達する「カナダ盾状地」の困難な建設を完成させ、さらにサスカチュワン州、アルバータ州を抜けブリティッシュコロンビア州をつなぎます。

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写真は、ディーゼル機関車の給油のため、サスカトゥーン駅(サスカチュワン州)に停車中のカナディアン号。

また、アメリカ合衆国南部への路線も子会社とし、一大路線を築き上げます。しかし採算が取れず破産の憂き目にあい、引き取り手としての国営鉄道会社「カナディアン・ナショナル鉄道(Canadian National Railway)」が誕生します。

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今から3年前、「終わらないのかもしれない」と思うほど長い貨物列車が車窓からなんども見ているうちに、カナダにおける鉄道は、物流の大事な役割を果たしているということを感じます。

VIA鉄道の誕生

実は二つの大陸横断鉄道にはそれぞれ旅客部門が存在していましたが、クルマとハイウエイの発達、飛行機の登場というダブルパンチを受け、経営悪化のため切り離して別会社のVIA鉄道へ移されます。ちなみに、旅客列車として運行されていた主な大陸横断鉄道は、以下の通り。

1899年〜1933年 Imperial Limited(モントリオール〜バンクーバー)カナダ太平洋鉄道

1931年〜1932年 The Dominion(トロント〜バンクーバー)カナダ太平洋鉄道

1955年〜1978年 The Canadian(トロント〜バンクーバー)カナダ太平洋鉄道

1955年〜1976年 Super Continental カナディアンナショナル鉄道

1977年〜1981年 Super Continental VIA鉄道

現在では、長距離鉄道はトロント〜バンクーバーを結ぶ「カナディアン号」が週3本、モントリオール〜ハリファックスを結ぶ「オーシャン号」が週6本の運行を行うなど路線の整理が進んでいます。

カナダの大陸横断鉄道を走る旅客列車がどのようなものか、ここで少しだけ写真でご紹介しましょう。乗車したのは「寝台車ツアークラス」と呼ばれる指定席。食事とパークカーの利用はすべて乗車券に含まれています。

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バンクーバー駅に停車中の「カナディアン号」。流線型の車両は、パークカーと呼ばれるラウンジカー。

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ラウンジの内部。

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食堂車は、白いテーブルクロスが敷かれていて、ウエイター&ウエイトレスさんがサーブしてくれます。

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朝食からボリュームたっぷり。

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ドーム・カーから眺める景色は、特別なもの。

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寝台個室は、ゆったりホテルに滞在しているようです。

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ベッドメイキングも完璧。

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ベッドメイキング後にチョコが置いてあるのは、ホテル・サービスの名残。

これらの写真は大陸横断鉄道「カナディアン号」に乗車した時に撮ったものですが、まさに古き良き時代の名残がそこかしこに残っている鉄道の旅は、特別なものがあります。

今回私が選んだトロント〜モントリオールは5時間と、大陸横断とは比べられませんが、カナダ東部をカバーするコリドー号は6路線が1日複数本の運行を行っています。

いよいよ次回は、この旅の本題である「カナダ鉄道博物館」へ向かいます。

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