モントリオールの「カナダ鉄道博物館」への旅(2):VIA鉄道に乗り込みます

公開日 : 2015年05月23日
最終更新 :
筆者 : MAKOTO
20150501_062736.jpg

ショルダーバッグひとつに荷物を詰め、午前6時40分発の一番列車に乗り込みモントリオールへ。今日の予定はトロント・ユニオン駅からVIA鉄道に乗り、モントリオールに到着後レンタカーを借りて一路「カナダ鉄道博物館へ」。

早朝のトロントはまだまだ薄暗く、TTC(トロント市交通局)のバスや電車はそろそろ始発という時間帯。家からユニオン駅までは徒歩で20分ほどなので、住み慣れた街ということもあり徒歩で向かうことにしました。

旅の基本はやはり「徒歩」

旅先ではバスや地下鉄、鉄道、タクシーなどを使いますが、道路工事だったり、渋滞その他の理由で「確実に時間が読めない」場合があります。お金もかかります。初めて訪れる場所で交通機関の利用方法に不慣れだったりすると、最初は「確実に時間が読める徒歩」が重要な移動手段となります。

20150501_062442.jpg

歩いていると、街の雰囲気や暮らしぶりなどもわかって良いという面もあります。場所によっては旅行者として歩くのはちょっと・・・という場所もあるでしょうから、その辺は現地の旅行サイトなどを参考に、特に写真を見て判断をするのが手っ取り早いでしょう。

カナダの長距離鉄道は「VIA」といいます

東部カナダの鉄道の玄関口となるユニオン駅は、近郊鉄道の「GOトレイン」と地下鉄が乗り入れているため、地下に降りると分からなくなります。

20150501_062850.jpg

長距離鉄道の名前は「VIA」と呼び、駅の1階にあるこの時計が目印。ここに立てばホームへの入り口がわかります。

20150501_062931.jpg

今日はビジネスに乗る予定なので、この反対側(正面入り口右手)にあるラウンジへ向かいます。受付でチケットを見せて中に入ろうとすると、「あと5分で出発のアナウンスがあるのよ」と笑顔で言われてしまいました。

20150501_063138.jpg

ソフトドリンク(コーヒー・紅茶、ジュース等)のサービスがあるので、すこしゆっくりしてからと思っていましたが、確かに時間を見ると「そろそろ」という感じでしたので、早めに出発ロビーへと移動します。

カナダの長距離鉄道には、日本のような改札口というものがありません。

20150501_063438.jpg

VIAという表示の通りに歩くと、出発ホームへ上がるエスカレーターの上がり口の前に座れる待機場所にたどり着きます。

20150501_063508.jpg

ビジネスの場合は椅子に座って専用入り口前で入場時間を待つことができますが、自由席の乗客は列を作って待ちます。

20150501_063725.jpg
20150501_063754.jpg

乗車は出発時間の15分ほど前にアナウンスがあり、テープが外され係員がエスカレーターを上がるよう促す、という流れです。これより前にホームに入ることはできません。

20150501_063824.jpg

ビジネスは先頭車両ですから、すこし歩く必要があります。ホームといっても日本のようではなく、レールが敷いてある場所の横が舗装してあるだけで、そこをそのまま歩くわけですから、列車が入ってくる所を見守るというのはちょっと危険。入場時間が制限される理由がわかりました。乗り込む時には、車両からタラップが降りてきて、そこを数ステップ上がるようになっています。

列車の型番確認

出発までのわずかな時間を使って、車両を見回ってみます。

20150501_063916.jpg

牽引するのは、1980年代に作られたアメリカGM社製ディーゼルエンジン「F40PH-2」。ちょうど運転手さんが運転席によじ登っているところをみかけました。

20150501_063930.jpg

エンジンは16気筒、水冷式のEMD 645型で発生した動力はジェネレーターと呼ばれる発電機に繋げられ、トラクション・モーターと呼ばれる主電動機が台車に取り付けられ、機関車を動かす仕組み。長い改良の末、ちょっと複雑な形になりました。

「F40PH-2」ではHEP(Head-end power)と呼ばれる列車用電気ネットワークが改良され、客車で使われる車内灯やエアコンなど様々な電源を安定して供給しています。先ごろ日本の新幹線が架線事故で何時間も立ち往生し、乗客は空調が切れた車内に長時間閉じ込められた、というニュースが伝えられましたが、この列車の場合こうした事態が発生すると、エンジンをつけたまま電源が供給できる、という利点があります。

20150501_063943.jpg

産業革命の時代にイギリスで開発された蒸気機関車は、1930年代頃からドイツ製のディーゼル機関車にとって代り、現代では環境に優しい移動手段として新たに脚光を浴びています。

北米で発達した鉄道史を感じてみる

VIA鉄道の客車には何種類かの型があります。今回乗車したビジネスで使われていた車両は、1984年カナダ・ボンバルディエ社製の「LRCクラブカー(正式にはLRC Club car:units 3451 to 3475)」。大陸横断で使われるステンレス製のBUDDカーではありません。

20150501_064008.jpg

時代を大きく変えたのは、1867年にアメリカで起業した George Pullman。彼は有名な「プルマン客車」と呼ばれる豪華な客車・寝台車や食堂車を開発し、長距離鉄道の旅を魅力的なものとしました。その流れを汲んだデトロイトの「BUDD社(バッド)」が流線型のステンレス・カーを生み出し、VIA鉄道の現在の大陸横断鉄道などに使われるようになります。

20150524_175643.jpg

手元には旅の途中に買い求めた一枚のポスターがあります。古い旅行雑誌の「New York Central System(ニューヨーク・セントラル鉄道)」の広告ページの切り抜きです。この鉄道は、1853年〜1968年まで、ニューヨークにあるグランド・セントラル駅を起点にアメリカ北東部を中心に、最盛期にはトロントやケベックまで運行していました。

広告のストーリーは「クリスマスに祖父母のところに旅する母娘」。車窓には雪に埋もれた街が描かれていて、快適な旅を演出する車内風景の中から、おそらく1960年代当時の車両と旅の様子が見てとれます。

こうしたことは今は当たり前ですが、当時の鉄道は長距離航路と組んで盛んに旅行セールスを行っており、豪華客船のもてなしのノウハウが次々と注ぎ込まれました。また「動くホテル」として正装したホテルマンのような客室係員がいるのも、プルマンの時代に始められた伝統です。

鉄道の発祥はイギリス。馬車から始まった旅客車両の技術とサービスは、北米においてアメリカで花開きました。カナダの鉄道史においてはまずイギリスの技術が持ち込まれ、「アメリカ式」長距離鉄道の技術と車両が確立するとカナダに導入されたのは、鉄道史的に理にかなったものだと言えるでしょう。

20150501_064103c.jpg

今回乗り込んだのは、このBUDDタイプのさらに進化系車両。中に入ると、入り口側に荷物置き場があり、大きなスーツケースはここにしまうようになっています。

20150501_064114.jpg

奥に進むと、座席は2+1(2人席と1人席)のレイアウト(エコノミーはコーチタイプの2+2)。

20150501_064134.jpg

指定された席は、1人用。

20150501_064309.jpg

飛行機と同様の座り心地で、足元はゆったり。前の座席の背もたれから下ろすテーブルと、右側の肘あての向こうにもカップを置くスペースがあり、パソコン用電源があります。

20150501_064242.jpg

荷物は座席周りに置くか、上の棚にも収納があり、混んでいないこともあり全体的にゆったりとしています。

20150501_070452.jpg

この空間のアイディアは、航空機のものです。

座っていると、長距離鉄道が航空機の登場によって斜陽産業化し、機上で行われるサービスをモデルに取り入れつつ新たな道を模索している様子が手に取るようにわかります。この辺の鉄道の生き残り作戦も、興味深いところですね。

いよいよ出発

しばらくするとスルスルと列車は走り出し、英語とフランス語のアナウンス(カナダは公用語が2カ国)がおこなわれます。オンタリオ州とケベック州の2つの主要都市を結ぶトロント〜モントリオール間の列車旅の始まりです。

カナダの歴史で言うと、フランス人による「開拓」によってケベック市及びモントリオール市が順次誕生したケベック州と、イギリス人によって「開拓」されたオンタリオ州は、カナダ建国の際に中心的な位置を占めていた州。

1800年代の中頃にはモントリオールからトロント、さらにはアメリカ合衆国へとのルートが盛んに建設されますが、膨大な建設費を払えず倒産した路線も多く、吸収合併を経て名前を変えながら線路だけは現在まで続いているパターンがほとんど。VIA鉄道がカナダ鉄道の旅客部門として分離・国営化されたのも、こういった歴史的な背景によります。

screen.png

VIA鉄道の路線図ではオンタリオ州とケベック州を合わせたものがウエブサイトに掲載されていますが、このくくり方も、伝統に沿ったものなのでしょう。

20150501_073548.jpg

アナウンスの後しばらくして、ソフトドリンク、朝食のサービスが早速始まります。チョイスはオムレツとフルーツのどちらか。検札は一段落が着いた後。係員がチケットにちっちゃなスキャナーをかざす形で行いますから、バーコードがきちんと見えていることが必要。念のためプリントアウトを持って行きましたが、スマホで読み込ませるよりしっかり取れるので、結局なかなか紙からは逃れられませんね。

生産的な旅のありかたとは?

一通り終わり車窓から外を見ると、ちょうど街並みが終わりトロント郊外のオンタリオ湖畔を走っていました。

20150501_072400.jpg

これから5時間。列車の旅は、時間がたくさんあります。コリドーと呼ばれるこの路線だけ、Wifiのサービスがあり(無料)、ネットワークを選ぶとほぼ安定したネット接続が提供されています。これは退屈しのぎにちょうど良くて、メールやLINEなどの簡単なやりとりをするのに便利。とはいえ、5時間もネットというのはどうかと思い、持ってきた本を手に取ることにしました。

20150501_084125.jpg

最近仕事で資料を読んだり、風呂で湯に浸かりながら雑誌に目を通すことは良くあることですが、「本を読む」というまとまった時間を取ることが難しいと感じています。おそらく環境なのだろうと思い、今回の旅には5時間かけたら読み切れるだろうと想像する本を一冊無理やりバッグにねじ込んだのは、正解でした。

20150501_085339.jpg

ときおりお茶のサービスのために乗務員が回ってきますが、ビジネスの場合すべて無料。料金は飛行機のビジネスの場合より格段に手が出やすいので、5時間くらいだとこっちの方がお得と感じます。

鉄道ルートにかいま見る大地の記憶

「コリドー」と名付けられたこのルートは、「カナダ盾状地(Canadian Shield)」と呼ばれる地球46億年の歴史上稀に見る安定した岩盤が露出している場所の東端に沿って走ります。ちょうど盾を伏せたような形をしていることからついた呼び名で、地球上の最終氷期であるウイスコンシン氷河期の時代に覆っていた2000メートルを超える氷の塊の巨大な重量のために平坦な地形ができあがったことが、研究の結果明らかにされています。

tate.png

地球全体の地質学的な研究が明らかにする所によると、今走っている場所は、地球上に生命が誕生したカンブリア紀の直前「先カンブリア紀(約45億年〜5億年前)」に生まれた「古い大陸の一つ」で、地球内部のマントルに直接つながるクラトン(安定陸塊)という膨大な厚みのある大地の塊。氷河が溶けた時代に地表が剥ぎ取られたため、今でも何十億年も前の貴重な岩石が発見されるといいますから、大自然カナダのスケールは壮大です。

8892827185_9729fe91f0_z.jpg

こうしたカナダの地質学的な解明については、マニトバ州のウイニペグ博物館に目の覚めるような展示が大変わかりやすく、上のような実物と見間違えるようなアニメーションがあり、昔カナダの一部は海の底にあったのだということが分かったりして、驚きます。。

20150501_113921.jpg

車窓から見える風景は荒涼としている一方、鉱物資源が豊富なオンタリオ州は古くから先住民族によって地表に露出している銅の鉱脈などが五大湖の西端スペリオール湖周辺で発見されてきました。

10616645_1020182b.jpg

19世紀にクーリュ・デ・ボア(野を駆け巡る人)と呼ばれるヨーロッパ人探検家が目をつけたのも、この資源でした。先住民族の言い伝えを頼りにし、奥地に生息するビーバーや鉱物資源を血眼になって探し回り、ケベック市とモントリオール市を拓いたシャンプランが探索の右腕としたエティエンヌ・ブルーレ(写真はトロントのオールドミルに設置された記念プレート)も、スペリオール湖周辺まで徒歩とカヌーで到達しています。

15135749158_923f8bb89b_z.jpg

時代は進み飛行機が発明されると、探検は「ブッシュ・プレーン(Bush plane)」という呼び名の小型飛行機へと取って代わられます。GPSなどなかった時代、飛行方法は彼ら同様、上空から川伝いに地形を記憶し、目的地まで飛んで行くという原始的な方法が取られていて、限られた燃料で悪天候なども充分に予測できない中、リスクの大きな空の探検が続けられました。

川や湖でも離陸・着陸ができるように改造されたブッシュ・プレーンは、調査のための航空写真の撮影や道路が完成していない奥地への資材運搬などに重要や役割を担います。今でもスー・セント・マリーというオンタリオ州の西端の街には森林警備のための州政府の基地があり、カナダ最大の規模を誇るブッシュプレーン博物館は、まるで飛行機好きの子供が大切にしているおもちゃ箱をひっくり返したような楽しさです。

分け入ることが困難な盾状地がどんな場所かが分かるようになったのは、この小型飛行機と、その操縦桿を握る冒険心あふれるパイロットたちの力によるところが大きく、現在でも森林火災の早期発見と消防の役割を担っていることが展示を通して示されています。

20150501_104019.jpg

19世紀のカナダで行われた「野を駆け巡る人」による探検が、20世紀には「空を駆ける人」に受け継がれ、不毛の地から貴重な鉱物資源が発見されると、道路や鉄道が通り、採掘された資源は港に運ばれ世界へと出荷されて行く。ときおりすれ違う貨物列車の長い車列を窓越しに眺めながら、鉄道は今でも物流を担うカナダの動脈の役割を果たしているのだということを、感じざるを得ません。

次回はモントリオール駅に到着し、「鉄道博物館」へ向かいます。

【記載内容について】

「地球の歩き方」ホームページに掲載されている情報は、ご利用の際の状況に適しているか、すべて利用者ご自身の責任で判断していただいたうえでご活用ください。

掲載情報は、できるだけ最新で正確なものを掲載するように努めています。しかし、取材後・掲載後に現地の規則や手続きなど各種情報が変更されることがあります。また解釈に見解の相違が生じることもあります。

本ホームページを利用して生じた損失や不都合などについて、弊社は一切責任を負わないものとします。

※情報修正・更新依頼はこちら

【リンク先の情報について】

「地球の歩き方」ホームページから他のウェブサイトなどへリンクをしている場合があります。

リンク先のコンテンツ情報は弊社が運営管理しているものではありません。

ご利用の際は、すべて利用者ご自身の責任で判断したうえでご活用ください。

弊社では情報の信頼性、その利用によって生じた損失や不都合などについて、一切責任を負わないものとします。