宮沢賢治と松田甚次郎①

公開日 : 2019年01月09日
最終更新 :
筆者 : まつとみ

童話作家「宮沢賢治」の名を知らない方はいないのではないでしょうか?

実は山形県新庄市に賢治の教えを実践し、全国に賢治の名を広めた人物

「松田甚次郎」という人物がおりました。

「宮沢賢治」と「松田甚次郎」のお話を少ししたいとおもいます。

「松田甚次郎」は昭和42年3月3日新庄市内の鳥越の自作兼地主の

裕福な農家の長男として生まれたそうです。

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▲新庄市にある松田甚次郎像 〒996-0041 山形県新庄市鳥越1224 鳥越神社境内

盛岡高等学校農業化別科(現在の岩手大農学部)の卒業間際の賢治を訪ね、

賢治に「工作人たれ」、「農村劇をやれ」と諭されたそうです。

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▲羅須地人協会(移築復元したもの) 〒025-0004 岩手県花巻市葛1-68 県立花巻農業高等学校地内

新庄に戻った甚次郎は賢治に感銘を受け、小作人となり村の青年を集め「鳥越倶楽部」を結成、

演劇活動もはじめました。舞台は村の八幡神社の境内にこしらえた土舞台でした。現在も土舞台は残っています。

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▲土舞台までの道  〒996-0041 山形県新庄市鳥越1224 鳥越神社境内

甚次郎は賢治の教えを実践し、それらの記録「土に叫ぶ」を出版。瞬く間にベストセラーとなり、

それを脚本した東京有楽座での人気を博しました。しかし、病気のため、34年の短い生涯を閉じました。

甚次郎が実践した精神と脈々と引き継いできた人々とともに、

新庄演劇研究会により、松田甚次郎の生涯を描いた舞台公演が新庄市で行われました。

松田甚次郎の精神は75年経った現在も引き継がれています。

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