残したい日本の風景「田植え」

公開日 : 2018年06月03日
最終更新 :
筆者 : まつとみ

「ひとりの小作人になれ、農村劇をやれ」

とまだ無名だったころの宮沢賢治に教えを受け、

農村改善運動に情熱を燃やし続けた新庄市生まれの農民活動家「松田甚次郎」

がいた。

甚次郎は東北地方の農村がもっとも疲れ切っていた昭和初期、

村を元気にしようと農民生活の向上と農村文化・芸術の確立に生涯をかけて取り組んだ人物である。

そんな昭和初期を経て今。6月7月は田植えの時期で農家は大忙しだ。

機械の性能もよくなり田植え機を使っての作業が主流の昨今だが、

手作業で皆一丸となって田植えを行う昔の日本の姿が見直されてきている。

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先日新庄市内で行われた田植え体験の様子である。

参加者は30名以上。県外からの参加者もいた。

昭和30年代~40年代にかけて田植定規(じょうぎ)という道具をころがして、

田んぼに苗を植える印をつけて行っていたが、現在も田植定規は大活躍。

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田植え定規を地面にあて、同じ間隔で植える。

温かくぬめっとした独特の肌触りも手植えだからこそ感じられる。

腰が痛くなる根気のいる作業だが、和気あいあいであっという間に時間が流れる。

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メディアの発達や多様性の影響で「昔(昭和後期)と比べて人間関係が希薄化している」と言われている現代。

確かに、地域の伝統芸能が消滅したり、年中行事も簡素化されてしまい、

家族や地域のコミュニティを中心にした繋がりで、親密な人間関係ができていた時代と比べると

人との繋がりは薄くなってしまった。

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しかし今もう一度みんなで一緒になって田植えを行う行事があるほど、

むかしの日本の暮らし方に向き合う人は多い。

紙媒体のイベント告知はもちろん、ネットでイベントを知り、

その日初めて会った人と一緒になって田植えを行う。

いまの時代だからこそできる新しい人間関係の築き方であると思う。

松田甚次郎の地域と社会を耕しつづけ叫び続けた思いはしっかり現代の

人の心に生きている。

今も昔も変わらぬ後世に伝えたい日本の風景だ。

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